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カーニバルへの道(1)

2003/2 - 2003/3

パナマ運河 / パナマ


いかさま運転手

トリニダードのカーニバルに米国から参加する今回の旅行。航空券を、ロスアンゼルス発、パナマ経由、ベネズエラ行きコパ航空を手配した。ベネズエラでペルーに住む友人と合流して一緒にトリニダードへ行く。パナマでは2泊する。

パナマ到着は朝9時。空港から乗合タクシーで、空港の観光案内所で紹介してもらったダウンタウンのホテルへ。昼ごはんを食べに行こうと、ホテルの周りをうろつくと、こりゃ車イスでは歩けない街。歩道は狭く段差だらけ、車が多く、運転も荒い、店舗入口には階段ばかり。おいしいパナマの地元料理の店を選ぶ選択肢もなく、ファーストフード店に入るだけだった。

そこへ、客引きのおっちゃんが、しつこく迫る。 パナマ運河いこうぜ!

予定では、翌日ゆっくりとパナマ運河を観光するつもりだったが、パナマシティは、車イスで街歩きを楽しむのは難しいので、行けるときに行ってみるかと、とりあえず値段を聞いてみた。情報では、US10ドル+チップ。彼はUS15ドルという。運河以外も案内するというし、安いタクシーを探す時間ももったいないし、面倒だし、乗ることにした。

で、車を見てビックリ! オンボロやないか! 鍵はなく、指でエンジンをかけていた。ボロイのか? 盗難車なのか? ガソリンも当然なくて、私のタクシー代から捻出。うーんその日暮らしな運転手。運転手の名前はアントニオ。とにかく陽気で、カメラを向けるとナイスポーズをする。それは楽しい。エンストばかりして、指をつっこみエンジンをかけて再出発。窓もドアも壊れていた。

スピードのでないポンコツ車でも、15分ぐらいで、すぐにパナマ運河に着いた。街からすぐなのだ。途中は、運河会社や政府機関の美しい建物が立ち並んでいた。1999年12月31日正午、米国からパナマに運河は返還され、今はパナマ政府が運営しているが、運転手のアントニオいわく、今の方が状態が悪いと不満をいう。汚職ばかりなんだって。

ご存知のように、パナマ運河は、太平洋と大西洋をつないでいる。実際に訪れると、その巨大さ、つくりあげた人類の力に驚愕してしまう。想像以上だったので、現地でもらったパンフレットより、簡単にパナマ運河の紹介をしたい。
 

 歴史: 19世紀の終わり フランスの会社が建設を計画するも資金難で頓挫
      20世紀の最初 米国が10年かけて建設 7万5000人の労働者、4億ドルをかけた
      1914年8月15日開通 現在まで85万隻以上が通行している

 収入: 2000年は、1万3653隻が通過し、その通行料は合計5億7422ドル(約700億円)
 最高: 2001年4月12日 豪華客船が
通行料として、20万ドル(約2400万円)支払った
 最低: 1928年8月14日~8月23日 リチャード・ハリバートンが泳ぎ、36セント(45円)支払った。 

 距離: 80Km 
 標高: 一番高い運河の底は海抜 26m、よって海面から上がるため双方3つの水門を通る。
 水門: 計6つのはどれも、同じ幅 33.53m、同じ長さ 304.8m これで高さを調節する 
 時間: 1隻の船が運河を通過する時間(待ち時間も含む)は平均で、8~10時間

世界中の船がパナマ運河を通過できるよう設計されており、その最大許容サイズをパナマ規格という。どの船も、幅ギリギリに設計され、運河を通り抜けていた。水門では、水量を調節して、船の高さを変えている。

あっという間に、船が浮き上がってきた。10メートル近く高さが変わった。この後、でっかいローラー自動車が両側から船を引っ張って、水門の出口まで連れて行く。

と、船の上をみると、日本の国旗がたなびいていた。なんと日本の船だったのだ。日本人らしき船員も何人か見えた。こんなところで母国と会えるのは嬉しいものだ。日本まで遠く長い後悔。頑張ってくださーい。


民族衣装

パナマシティは、運河の通行料で潤うところ、そして金融センターがあり、色んな人が住んでいるが、ビジネスの街らしく、殺伐として環境も悪く、暮らすにはあまりよくない。観光も運河ぐらい。しかし、パナマの山岳部にいくと、昔ながらの文化を守る少数民族が住んでいる。その少数民族を訪問するのが観光として面白いだろうけど、時間がなくてあきらめていた。

しかし、街に多くの少数民族が出稼ぎにきていたり、そのまま住み着いていたりしていた。ダウンタウンの中心でも、色鮮やかな衣装をみにつけた女性をたくさんみた。金持ちの家でお手伝いさんとして働く人、買物を楽しむ人、いろいろ。

男性も同じように民族衣装を着る人がいてもよさそうなのだが、ごくごく少数だけだった。それもカラフルなものでなかった。また若い女性の中には民族衣装を着ていない人もいた。おそらく、少数民族の女性は、自分達のおしゃれ感覚に自信があるのだろう。若い女性は思春期で恥ずかしいのだろう。自分達の民族は経済的に貧しいし。とはいえ、本当に素晴らしい衣装なので、消滅することはないだろう。

殺伐とした新市街、麻薬中毒者のさまよう治安の悪い旧市街、賑やかな大通り、あちらこちらで、きれいな民族衣装が見れて幸せでした。その一方で経済的に貧しい彼らの足元を見て、こき使う人々を見るのは忍びない。それが資本主義。そんな環境でも、おしゃれ文化に誇りを持っていて卑屈になっていないことは、世界でも珍しいと思う。

中南米のあちらこちらで先住民のインディオが、低賃金でこき使われる、貧乏なのは共通なこと。それでも、虐殺されインディオが全滅したところもあるから、そんなインディオがいないのも複雑だ。


パナマという国

パナマシティは観光するところが何もないので、インターネットカフェで時間をつぶしていた。1時間50セント。高くても1ドル。そこら中にある。狭い国土なのでインフラ整備が簡単なんだろうか。パナマシティは中米の香港みたいだ。銀行も多い。金持ち金融家が集まっている。

また、パナマ運河で潤い、政府が金持ちなので、公務員がやたらに多い。警察官もやたらに多い。一方で、貧富の差は激しく、コロンビアからの麻薬問題もあり、スラム地区があり、麻薬中毒者も多い。街中の人は、日本のことをよく知っていた。昔、日本の漁船が給油で多く寄港していたとのこと。今はガソリンの値段が高くなって、ペルーに寄港しているとのこと。街のおっちゃんが解説してくれた。ガソリンといえば、米国資本のガソリンスタンドばっかり。その価格も米国より少し値段が高い程度。ファーストフードといい、パナマにおける米国の影響は多大である。そういや野球も強いしね。

最近は、中国人の不法移民が社会問題になっていた。新聞やニュースで大きく報道されていた。2003年1月は、なんと1000人が不法入国。正規移民は月に100人程度。スーパーや工場、レストランなどで働いている。中国人村なんてのもあったりする。うーんビックリ。


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