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イスラームの世界へ (10)

2012/09

ラホール滞在 / パキスタン


陸路国境越え

インドとパキスタン。2つの大国も陸路国境は1つだけ。アムリトサルのホテルから、オート三輪に乗って45分で国境に到着。インドの出国審査が厳しく、国境の緩衝地帯の移動も含め手続きに1時間ぐらいかかったが、私以外の通過者はゼロ。閑古鳥。どこも国境は喧騒で包まれるが、こんなに静かな国境は初めて。トラックは何百台と列を作っていたが、商売人もいない。両国の関係がいかに良くないか身をもってわかった。

パキスタン側の街ラホールには、ダスキンのアジア太平洋障害者リーダー育成事業で来日し、1年間勉強したシャフィークがリーダーをする「マイルストーン」という組織がある。その事務所に泊めてもらう。

国境では、その「マイルストーン」メンバーが私を待っていた。入国審査をする前に、私のカバンを持ってくれ、手続きの様子をビデオ撮影。自家用車も、審査場の敷地内に駐車。緩緩です。そしてガラガラ。誰もいない。


マイルストーン

パキスタンを代表する障害者団体ぼ一つ。ラホール郊外に事務所がある。ゲストが泊まれる部屋も有り。台所や居間は一つで、複数の寝室があり。大家族や親戚も混じって住む。

中庭があり、吹き抜けで天窓があるのも特徴。電気が停まっても採光できる。自家発電も備える。停電が多いため、電気がないことを前提に、暑い夏でも風が通り抜けるような構造となっている。原発問題で、電気が停まったら、この世の終わりみたいな日本とは違う。電気がないことを前提とした生活。環境が変われば、対応も生活も違うもの。それなりにやり方はある。

日本の機能的な車いすに感動した代表のシャフィーク。病院にあるような車いすはあったが、良い機能的な車いすは存在しなかった。帰国後、同じような車いすの生産開始。パキスタン製。自国の部品を使う。

1台120ドルで生産しているとのこと! まあ外貨にするとそうなるのかも。イスラマバードに工場あり。13万5000台を作った。現在、政府と交渉し、更に100万台の車いすを全土に配布したい考え。つい10年前まで、まともな車いすがなかったのに。シンプルで機能的。昔の日本の車いすにそっくり。当事者によるデモや抗議により、政府から地域障害者団体を通し、個人へと車いすが提供されるシステムも構築。

自動車の手動装置も日本をパクリ。パキスタン全土に広めた。まさに改革者。手動装置の制作、改造ノウハウを伝え、手で操作して運転することができることを伝えた。

こちらは空港の車いすトイレ。ターミナルが新しくなるとき、「マイルストーン」が、車いすトイレの設置とデザインを提案。完璧っす。

夜は、地元の音楽クラブに行きました。甲高い歌声。礼拝やコーランの暗誦に似ている民族音楽だった。おしゃれなレストラン、ショップ、映画館など有り。若者などが長い夜を過ごしていた。店はオールナイトらしい。段差や階段もありますが、店主や従業員に頼んで助けてもらう。担いでもらう。動くことで街をバリアフリーに!


ラホール観光

市内観光へ。彼らの自動車があるのですが、市民の足も利用したい。三輪オートタクシーの乗車にチャレンジ。椅子が小さい。ゆったり座れない。乗り移って、車いすを小さくたたんで乗車。旧市街の観光地ラホールフォート(城壁)を目指す。

坂道を上って、ラホールフォートの中へ。私が観光する様子はビデオ撮影。パキスタンでは、バリアフリーの普及に言葉や文章より、映像を使っていた。誰にでもわかりやすいから。デジタル時代、映像によって人々にバリアフリーの必要性や、障害者の権利向上を訴えていた。素晴らしい!

長い坂をやっとあがって到着。彼らの友人(プレイボーイの車いす)も合流。

ラホールで最も大きなバッドシャヒ・モスク。残念ながらスロープ無し。古いから仕方ないけど、どこかに入口が欲しいところ。まだまだバリアフル。

昼食は、マイルストーンの仲間、プレイボーイの自宅にて。15人家族。彼の部屋は1階。彼は強盗に襲われ、銃で撃たれて車いすに。それでも社会復帰し、商店を経営し、不動産でも成功!ビジネスマン、恋愛にも積極的。結婚もして、自動車も運転。いわゆるロールモデル。

男同士、女性の話にもなりました。イスラムの世界。男女交際も厳格と思いきや、オープンなもの。婚前交渉はNGも、いちゃいちゃはOK。中絶もかなり多く社会問題になっているのは意外だった。

浮気もするって、しない国はないでしょだって。そりゃそうかも。障害者の結婚は問題なく可能とのこと。結婚率は日本よりパキスタンの方が高いかも。外見をあまり気にしない。大家族制なので家事も分担できる。弱者を助けるのが徳を積める。それらが理由か。

銃で車椅子になる人が多いのには驚きと悲しみ。テロも多く、年間4万5000人が犠牲になるそうな。日本だって、自殺者も3万人を超えている。社会問題は各国にあるとの意見。結果は同じだとの意見も。9万人の死者を出した2005年のパキスタン地震では、脊髄損傷者が1万5000人も出たとか。

現地人の話によると、パキスタンの税金、75%が軍隊へ。5%が教育へ。3~4%が健康医療に。公式データでないので正確ではないかもしれませんが、軍事費の多さは間違いないでしょう。障害者は大学の学費や、税金を支払わないとも。なぜならアクセシビリティ(バリアフリー)が充分でないから。


現地で会議参加

滞在中、パキスタン全土の障害者団体や各政党代表者が集まり、障害者の政治参画をテーマに会議があった。投票場のバリアフリー化、障害者も選挙に行こう、政治に関ろうっていうもの。私もゲスト参加。開催場所のホテルは入口に階段。バリアフリーになったホテルもあるらしいが、あえてバリアのあるホテルで開催し、改善を促すのも、マイルストーンの狙い。

100人以上が参加。有力者もたくさん。地域に根差した権利擁護や、障害者の社会参画も話し合う。大統領選を控え、障害者も投票しよう(投票場にすら行けなかった)、一票のある市民となろうというもの。会議の開始は、イスラームの歌、朗読から。神への感謝を示す。所要1~2分。

なぜだか私は司会者の隣に座らされ、眠ることもできない。当たり前か。ウルドゥー語での会議だが、ときおり英語も交じる。知識人などは英語を交えたスピーチ。長嶋茂雄が、英単語を混ぜて話すのと似ている。英語を話せることは知性や地位の証明となるから。

みんな、言いたいことを言う。意見や立場の違う人達が共存する集まり。それでも一同に会するのは大切。会議は途中参加、途中退席自由。時間もルーズなので遅れる人もあり。

停電の多いパキスタン。会議中、3度も電気が停まった。ホテルに自家発電も切れてしまい、一度は40分ぐらい暗いままの状態。パキスタンの携帯電話には、プチ懐中電灯機能もあり、携帯で照らしたりしながら明かりを得る。会議室は地下にあるから、外からの採光はなし。夏場には40度を超えることもあるラホール。停電で空調が使えないと暑くなるので、地下に設置か。

ホテル。入口の段差解消を条件に会議室を借りることにしていたが、何も改善なし。会議中には停電ばかりで、進行に影響した。約束と違うので、マイルストーンは会議代を支払わないと言っていた。むしろ賠償金をもらうとも。その交渉はどうなったのかは知りませんが、やり手の交渉。

会議中。私も一つスピーチを。マイルストーンの新しい目標として、電動車いすの普及「さくらプロジェクト」がある。日本から中古80台が送られたが、政府が許可を出さず、カラチ港で足止めされていた。

最初に、「今日気付いたことがあります。パキスタンには2つの問題があります。1つは障害者の社会参画。もう1つは電気です」と、ジョークを言ったが、つたない英語なので、一瞬は空気が凍り、半分ぐらいが笑ってくれた。場を和ました後、「日本の善意が踏みつぶされている」とスピーチ。微力ながら貢献できたかなと。

翌日、パキスタン最大の英字新聞に、会議の記事が掲載。私も記者からインタビューされていたので、名前入りで紹介されました。プチ国際貢献。


料理をする

シャフィークが、お好み焼きを作って欲しいと頼んできた。おたふくソースはあるからと。昼食に作るべく、市場へ買物へ。人の集まるとことろは活気があって、庶民の生活が肌で感じられる。

乾燥した大地のイメージがあったパキスタン。いえいえ農業国でもあります。インダス川の流域に肥沃な穀倉地帯もある。野菜や果物も豊富。マンゴーは世界一の美味しさかも。

お好み焼きといえば、豚バラ肉。イスラームなので豚は無し。探せばあるのかもしれないが、牛肉も売っていなかった。一般的には鶏肉のみ。1キロ=150ルピー(150円)。どの部位も同じ値段。ミンチもその場で作る。包丁を叩いて刻む。鶏肉を入れても美味しくないけど、肉が欲しいと言われたので、鳥ミンチをお好み焼きに入れることに。目の前でさばいてくれるのは安心できます。変に加工されたりされませんから。

小麦粉は質が悪く。日本のような薄力粉はなし。色も茶色。卵も値段が高く、その質も悪かった。で苦労しながら、なんとか調理。評判はイマイチでした。まあ材料違うもんなあ。ごめんなさい。

ラホールではない地方都市で、障害のある子ども達の課外学校を運営するNPOの人。彼女も杖で、障害があります。ポリオか脳性マヒかな? 女性でリーダーとして活躍する人もたくさんいます。

障害者の権利も弱い、バリアフリーも進んでいないパキスタン。障害者運動はまさに開花するところ。その効果が目に見えて表れ、当事者も運動の大切さを知っていた。我々も市民の一人だと元気満タン。目が輝いていた。


1泊2日の小旅行

会議には、パンジャブ州観光局の人も来ていた。そのオフィスを訪問し、観光地のバリアフリー化について話し合い。州観光施設への宿泊に招待された。ラホールから、イスラマバードへと行く途中、山脈を超えたところに湖がある。

州の宿泊施設です。日本でいうところの国民宿舎みたいな感じか。残念ながら、バリアフリーはゼロ。おそらく我々が初めての車いす宿泊客かも。段差と階段しかないので、職員さんに担いでもらいました。

2階の食堂スペース。部屋とバスルーム。広いので使いやすかったです。

マイルストーンの仲間達。車いすに乗るのがシャフィーク。の両隣のアクマルさん、リズワンさんも、ダスキン愛の輪海外研修生。日本語が話せます。私を入れて合計6名(でも車は1台)での男旅。

階段しかないんですよね。職員研修や、バリアフリー化の必要性を訴えることも含め、お手伝いしてもらいます。親切なので、皆快くやってくれます。バリアフリーなんて考えすらないところから、種まき。

出発の朝。宿の責任者と記念撮影です。

田舎道なので、私も自動車を運転することにしました。皆はビビってたけど。交通マナーは世界最悪なんです。逆走あり、歩行者、バイク、ロバ、入り乱れ。道路もガタガタ。ホテルから、遺跡まで1時間強、運転しました。緊張感があって楽しい!

ヒンドゥー教の聖人が眠るらしい廟。古い遺跡です。インドと国境が開放されたら、インドから多くの巡礼者や観光客が来ると言っていました。

パキスタン名物は、トラックの装飾。ド派手です。天井の迫り出しがヤンキー風。見ているだけで楽しい。

ケーララ塩鉱。塩の採掘場。観光用として整備がされ見学ができます。トロッコ列車に乗って、奥地へと入るのですが、訪問したときは、列車は修繕中。よって歩くしかない。でも2キロぐらいあるので、ちょっと入ってお終い。中が見れなくて残念。


パキスタン雑感

ショックだったというか、時代の変化を感じたことが一つある。アジアやアフリカの開発途上国を旅行していると、日本の中古車やバス、トラックをたくさん見る。工務店の名前が残ったままのトラック、旅館名の入ったままのミニバス、行き先が表示されたままのバスなど。

パキスタンでは、中国語のバスやトラックばかりだった。まだ新しいトラックやバスが中古品として、陸続きでもあるし、中国から大量に流れてきているのだった。中国が経済発展している証拠。ちょっと驚いた。

911以前は、旅人天国だったパキスタン。ところが、今は旅行者はゼロに近い。平和が乱れ、突如世界中から悪モノにされたパキスタン。彼らの常識では、911は米国の自作自演。ビンラディンはCIA。真意はともかく、物事に対する理解のギャップに驚いた。


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