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中東遺跡巡り(4)

2000/04  -  05

十字軍の城 クラック・デ・シュバリエ / シリア


ホムス

レバノンに入国する途中に寄ったシリア第三の街ホムス。近くには、十字軍の城「クラック・デ・シュバリエ」がある。ホテルの人に、とりあえず「クラック・デ・シュバリエ」までタクシーを借り切ったら幾らか聞いたら25ドルといってくる。ちょっと高いと思ったし、「地球の歩き方」には、この日は城は休館日だと書いてあるのでタクシー手配を断り、お茶を飲みながらホテルの人と話をしてくつろいでいた。

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しかし、街に出てみると欲がでてきた。聞くのは無料なので、タクシーの運転手に「クラック・デ・シュバリエ」までの往復料金を尋ねると、20ドルとの回答。もしガイドブックの記述と違って休館日でなくても、16時に城は閉まると書いてあるので、今すぐに出発しても、つくのは閉館時間になってしまう。だから、10ドルだったら行ってもいいと強気に交渉する。安ければ見にだけ行こうと思ったからだ。

始めは私の安い掲示価格に運転手は怒っていたが、簡単に諦めて帰ろうとする私を引き留める。最終的に、12ドルまで価格が下がった。ホテルの掲示価格の半額だ。なんでも、ガソリン代だけで、7ドルはかかると言うが、(距離にして往復150kmくらい)。10ドルと引き下がらない私。

すると、この様子を横目で見ていた他のタクシー運転手が寄ってきて、11ドルでOKだという。そして、手に握っていた11ドルを奪い取り、車に乗れという。長い交渉をしたドライバーに情けは無用。安くしてくれたタクシーに乗ることにする。よって、11ドルで城に向かった。 うーん安い値段だ。


歌あり、笑いあり、交渉あり、楽しい城内観光

砂漠の景色が続いたこれまでの地域とは違い、緑豊かなシリアの穀倉地帯を車は走る。「クラック・デ・シュバリエ」に着いたのは、16時前であった。

入口付近のおっちゃんに城が開いているかと尋ねると、開いてるよとの返事。それに、車イスでも入って見ろよと、皆で入口の階段を担いでもらって城に入場する。入場料の4ドルも、車イスという理由で無料にしてくれた。ガイドブックの記述は間違いで、定休日でも16時までの開館時間でもなかった。ただ城の近くに来て眺めるだけのドライブが、城の観光をすることに変わった。何でも、その場に行くもんである。

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城に入場すると、なぜか3人の男がついてきた。そして、城の中の坂や、階段を押してくれた。そして、城の中を丁寧に説明もしてくれた。その説明も絶妙で愉快なもので笑いが絶えなかった。彼らは善意もあるのだろうが、ガイドさんで後でチップを要求されるだろうなと思いつつもチップのことには触れずに、城内観光を楽しむことにする。

3人組は、車イスで行くには困難なところまで連れて行き、いろいろ案内してくれたりもした。我々がいれば車イスでも城内観光が可能なんだよといわんばかりに、彼らのおかげで、本当に楽しく隅々まで観光できた。

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「クラック・デ・シュバリエ」には、馬が2000頭だったか、騎士が200人、兵士が3000人だったか、とにかく多くの人が住んでいた。厨房や寝室、講堂など多くの人が住める構造がなされている。その中でも驚いたのがトイレで、20個くらい壁に面した穴があって、そこで用を足すと下の階に落ち流ち、樋を通って、城の外に流れるようになっている。他にも、雨水を貯める工夫がなされていたり、昔の人の知恵に驚かされる。

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さて、1時間半の楽しい観光の後、帰るときが近づいてきた。すなわち交渉の時間がきた。ガイドしてくれた男の一人が、まず自分達の仕事を賞賛する。君が車イスでも十分楽しめただろう。俺達のおかげで本当に楽しかったよなと。それに、君以外でも車イスの客はいて、この前助けたドイツの老女は10ドル貰ったと言う。

おいおい、ちょっと待て、一人10ドルで、三人で30ドルかよ。ふざけるな! 私の考えでは、2ドル×3人=6ドルを払おうと思ってた。やっぱり金額でもめる。ガイドの言い分では、俺達の入場料を払えと、4ドル×3人。そんなもん、彼らは入場料を払うわけがない。アラブ旅行の定番である、散々価格交渉でもめたあげく、ドル×3人=12ドルで成立。もし、こういうとき小銭や小額紙幣を持っていなかったら大変なので(おつりはこない)、常に携帯の1ドル札が威力を発揮する。

お別れは、私がチップを絞ったせいか、あっさりしたもので、城の裏口の通用門から出た。その裏口からの、城の入退場は車イスでも簡単である。しかし、観光用の正面入口から、階段や回廊を通って入場する方が趣があるので、たとえ車イスで大変だろうと助ければいいから、正面から案内してくれたのだろうと思う。

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最初は、城までのドライブと思って行ったつもりだったが、色んな人の親切で(チップは払うが)城見物まで堪能でき、本当に嬉しかった。運転手には、行って帰るだけで11ドルと私は約束したのに(通じてたかは定かでないが)、城の観光まで付き合わせ、ときには車イスを担いでもらったりもした。

結局、運転手を長い時間、拘束してしまった。だからか、帰りの車内でチップをくれとせがまれた。しかし私は、11ドルの契約は契約だと主張してチップをあげなかった。情けをかけてたら、中東で交渉はできない。

運転手は、私が城でヘルプしてくれた3人にチップを払ったことは知ってたが価格までは聞かなかった。自分もガイドと同じような行動をとって私を助けたので、値段を聞くのが恐ろしかったのだろう。事実、私は、タクシー代より多くガイドに払ったんだから。


郵便配達の代理

ヨルダンでも、シリアでも、セルビスタクシー(乗合タクシー)の路線がない街の人は、道路沿いで、セルビスタクシーのヒッチハイクを行う。だから、途中で人が乗って来たり、人が降りたりして、融通を利かせたりしている。

パルミラからホムスに向かう道でも、何人かヒッチハイクをしていたが、ある男性が、道をふさいで立っていた。その男は運転手と言葉を交わし、車には乗らずに、封筒を運転手に渡した。なんだろうと思っていると、しばらくして道路から反れた村の集会場に運転手は車を停めた。そして、男から預かった封筒を、そこにいる人に渡した。

なんと、セルビスタクシーの運転手が郵便配達の代理をしていたのだ。自然環境の厳しい中東で、助け合って生きなければいけない環境で人々は助けあって生きているんだ。


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