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もう一つの日本へ(5)

2003/07  -  08

日本語学校 / パラグアイ


地球の裏側

日本からみた地球の反対側。南米大陸の真ん中にパラグアイがある。アメリカ大陸には、戦前に多くの日本人が移民した。パラグアイもそんな国の一つ。米国に移住した日本人は、第二次世界大戦での不遇をへて、米国社会への同化を求められ、米国の経済発展とともに豊かになった。

ブラジルの日本人は、発展しない南米経済のもと、勤勉精神で独自のコミュニティを形成しながら、当地での評価や地位を獲得し、日本語を話せない3世の世代になり、溶け込んだ。

パラグアイは、移民の歴史は浅く、1950年代~60年代がピーク。1世の人が現役なところ。理想の自給生活、農民生活を夢見た人たちが移住してきたが、高度経済成長をしようと息吹をあげる日本とは対照的に、大変な現実が待っていた。

原生林が生い茂る中での開墾。聞いていた理想郷とは違っていた。一方で、日本はどんどん豊かになっていく。そのうちに政府の移民政策が二転三転し、当初予定していた移民数に全く足りないまま終息した。とにかく、取り残されたところ。ロストワールド。そんな後ろめたさもあってか、青年海外協力隊の派遣人数が最も多いのがパラグアイとなっている。ほとんどの日本人が、どこにあるのか知らない国なのに。資源もなく、海もなく、外交上の利点もほとんどない国なのに。移民政策の失敗をひた隠すようにみえる。

そんなパラグアイには、日本人村が数ヶ所、存在する。農業が中心ということもあり、他の移民国と違い、日本人だけで集団生活をしているのが特徴。話される言葉も日本語。学校では日本語の伝統的教育。お祭りも日本的。ただし、その文化は移民した時代でストップしている。つまり時が止まっているのだ。

日本人村では、厳しい環境の中、自分達のアイデンティティを失わないために必死に日本文化を守り通してきた。しかし日本は遠い。経済格差もつきすぎて、帰国するのも難しい。日本の伝統を守ることが、彼らの生き抜く道だったのかもしれない。

同じように、パラグアイにはドイツ系の移民も多い。ナチスの残党が逃げ込んできた場所でもある。自給自足生活を理想とする宗教的に戒律が厳しいメノニータという人たちも住んでいる。隣国の大国ブラジルも、支配しようと思えば簡単にできるであろうが、その価値もないのだろう。世界から孤立したようなところである。

パラグアイ政府のだらしなさを物語るエピソードには事かかない。その一つが、日本人村のインフラ設備。水道、電気、道路などである。これらは全て日本政府の援助で作ったもの。パラグアイ政府が作るわけはない。もちろん学校も。警察も管轄しないので、自警団があり、何か問題が起これば軍隊を直接呼ぶ。そのためのパラグアイ政府とのコネクション作りは大切である。

現地の日本人は、自衛のために拳銃を持っている。自分の身は自分で守る。開拓地。国境の街エステから、ありとあらゆる物が手に入るのだ。パラグアイを訪問した理由は、時が止まったような日本人村を訪問することだった。南米にありながら、日本語だけで完結するコミュニティ。それが見たかった。イグアスの滝に近い、イグアス村を訪問。街の中心には、赤い鳥居が飾られていた。ここで盆踊りや、運動会なども開かれる。

場所を移動して、友人カオリちゃんが派遣されているカピタンバードへ。かなりの田舎で、舗装道路もなく、大きな町からコンビで2時間。農業の街。とんでもない田舎。そこにも日本語学校が建設されていた。すごい!

きれいな校舎に、グラウンド。とても立派です。派遣される先生が暮らす家が隣にあります。

生徒は、ブラジル人やパラグアイ人。日系人の生徒は残念ながらいない。なぜって、ここには日本人は、ほとんど住んでいないから。だから、教えている日本語も、初歩の初歩レベル。お稽古ごとみたいな形。週に2日通ったり。

日本人先生のカオリちゃんに加えて、現地の人が3名アルバイトで先生をしている。そのうちの一人が、日系ブラジル人3世のアイコさん。ブラジル人コミュニティで育ったので、ポルトガル語だけです。日本語は少ししか話せません。ですが、小さい子どもに教えるのには十分です。

ブランコで遊ぶ子ども達。本当に無邪気でかわいいです。南米は美人が多い。

カオリ先生。田舎が似合っています。道は舗装されていなく、粘土質で、砂地なので、車イスの私は大変でした。

パラグアイとブラジルの国境です。双子都市で、行き来は自由です。不思議なところ。左側がパラグアイ。右側がブラジル。違いが分かりますか?経済的な豊かさが顕著ですよね。道路が舗装されているのがブラジル側です。


カピタンバードの誕生日

滞在中に、ちょうど街の誕生日、いわゆるお祭りの日に出くわした。その前夜祭(大晦日みたいなもの)には、市民ホールでパーティが行われていた。少しお金を出してチケットを購入。若者達が憧れるパーティ。お金持ちの自慢のしどころ。西欧式のきっちりとしたものだが、田舎だけあって音響効果、歌手のレベルなどは低かった。

このパーティの一番の見所は、美人コンテスト。その年の街の美女を選出するのだ。参加者はギラギラ火花を散らす。南米らしい催し物。何度も衣装を変えて、審査員の前を歩き、伸ばしに伸ばして、優勝が決定。16歳の若い背の高い子だった。おそらく買収工作などがあるのかもしれない。

先生カオリちゃんも珍しくおしゃれをしてきた。近くの大きな町の病院に派遣されている看護婦リョウコちゃんも参加。
日本語学校で先生のアルバイトをするマレーナが、おめかしをしてきて参加。大人っぽく変身していて、とってもかわいいです! この街に住んでいたら、あー恋に落ちそう。。。

 

次の日。カピタンバードの誕生日は、街のメインストリート(ここだけ舗装されていて、他は土)で、パレードが行われた。子ども達が学校で教えられたのか整列。政治的な匂いがぷんぷんするけど、日本でいう運動会の演技みたいなもの。子ども達の親は、その様子をみるのに躍起。

パラグアイは、南米で唯一、原住民の言葉(グアラニー語)が、公用語として使われている。他の国々は、すべて西欧からの侵略者に虐殺されてしまった。つまり、生き残っていないだけ。内陸の田舎、農業しか産業のないところなので、侵略するまでもなかったのかもしれない。農業国なので、トラクターも登場。かざりつけをしていて、とってもかわいいです。

 

子ども達が、一生懸命に演奏。太鼓のリズムはイマイチで、行進も乱れて、先生が必死に指導をしているけど、自由でお構いなし。

今度は、素朴な民族衣装をきた人たちのパレード。パラグアイの人は、他の南米の国々から「カンペシーノ(田舎者)」と馬鹿にされるのですが、田舎も極めたらいいもの。本当に素朴です。特に、この街はジャングルの奥地にあるし。世界から隔離されたようなところで、国自体が一つの田舎なんです。

続いて、カピタンバード日本語学校のパレードです。初参加で気合十分。学校を運営する現地の日系人、協力してくれるブラジル人(国境の町なので)、が一致団結。カオリ先生。やりましたね。町へ精一杯のアピール!!!

トラックの上にひな壇を作り、花でお化粧をして、浴衣を着た美女達がずらり。日本、パラグアイ、ブラジルの旗が友好の印。現地ローカル放送の実況も、珍しい日本的な仮装に大喝采。めちゃ盛り上げてくれました。


最も貧しい国?

ニューヨークにある調査会社が、世界100都市以上の物価を比較していた。東京が、世界一物価の高い街に選ばれていた。2位はロンドン。3位はニューヨーク。4位は大阪。その最下位が、パラグアイの首都アスンシオンだった。とりあえず南米最貧国です。

確かに物価は安かった。でもサービスは最悪だった。治安も悪かった。バスもパラグアイだけボロボロ。工業製品は全て外国製。極めつけは、お札だった。こんなにボロボロなのは他国で見たことない。テープで貼るのは当たり前、ペンで記入されているのも多い。偽札も多く流通するのも納得できる。財布に入れとくだけで、財布が臭くなってしまいました。なんとかしてよー。


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