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* 世界視点から見た、日本のバリアフリー *

  
過剰な設備と、利用者側の多大な要求。

 
世界と違う常識 / 一方通行のバリアフリー / 前例主義



利用者がもっと歩みよらなければならない

過剰すぎる設備もそうですが、日本のバリアフリーは完璧を目指しすぎています。すべての人が満足する設備はありません。どこかで割り切りが必要です。もっとも、何らかの不自由を感じる人には、自分の努力では解決できない問題もあるのは事実。しかし、障害者=できない人 ではありません。できることもたくさんあります。できないことはあるかもしれないが知恵や工夫で乗り越えることもできます。その努力をする意識を、もっと利用者側も持たなければなりません。また、利用者側が柔軟に利用できる余地を与えるべきでしょう。

過剰な意識や自立を妨げるような特別待遇は必要ありません。障害者自身もできない理由が、障害が原因なのか、自分自身の問題なのか曖昧になっています。依存することになりきってしまい、甘えすぎてもいけません。もちろん障害があろうとなかろうと、困っているときに手助けが必要なのは同じです。障害があるから手助けが必要なのではなく、困っている事項に対して手助けが必要なのです。

世界のバリアフリーは非常にシンプル。それは障害者専用でなく一般の人も利用します。専用にしてしまうと、一般社会から乖離してしまい、逆に線を引くことになります。特別扱いではない。どちらも歩みあってこそ、よりよいバリアフリーになります。障害者側も権利だけを主張するのでなく、同時に発生する義務もきっちり行う必要があります。

設備やサービス、同じように使えるのなら、その人は障害者(世界の環境定義による)ではありません。よって割引は必要ありません。しかしながら、日本では、特別視や優遇が、 バリアフリーだと思っている人がいます。車いすマークの駐車スペースが良い例です。車いす利用者など移動障害でない人が、障害者手帳を持っているからという理由で停める人がいるのは問題です


使わなければならない設備

バリアフリーの設備や配慮を、必ず利用しなければならないという風潮があまりに強いです。例えば、映画館。車いす専用席が作られていますが、車いすの人が必ずそこに座らなければいけないことはないはず。同行者と一緒に並んで座って鑑賞したい人もいるでしょう。駅の階段に設置されている昇降機。利用するのに時間と手間がかかるため、周りの人に担いでもらって上がるという手段を使う車いすの人がいてもいいはず。  

専用設備は、確かに便利ですが、選択肢が増えたと考えて欲しいものです。設備があるからといって、それが時と場合、人によっては便利だと感じないこともあるからです。専用=分離につながり、逆に心のバリアを感じて、不快になってしまうときがあります。


利用者側の意向を聞かない。コミュニケーションがない

十分なバリアフリー、ユニバーサルデザインがあれば、介助は必要ありません。しかし、障害のある人が駅や空港、ホールなど利用するとき必ずといっていいほど介助がつきます。バリアフリーの進む米国、カナダ、英国などは、介助が必要なら自らが申し出なければ何もしません。また介助を断れば、全く何もしない。介助を断る権利もあるのです。

これは一重に、利用者側の意向を聞いているということに尽きます。日本では、利用者側に「どんな配慮が必要ですか?」とは、尋ねることはしません。自らのマニュアルで「○○はできますか?」の、YES、NO の質問しかしない。こちらが何を必要としていて、何を必要としないのかは聞きません。

利用者側も、やってもらっているから(福祉、擁護、保護)という意識で、注文ができません。助けてもらっているのだから文句を言うなと教えられているのです。互いに、一方通行のコミュニケーションでは、バリアフリーは発展しません。


福祉における権力問題

介護者と利用者(あるいは福祉供与者と受益者)の関係は、平等対等が理想であり、そのような関係性を目指すことが介護者に要求されることがあります。しかし、権力が存在しない限り、そもそも介護関係は成立しません

権力性が存在する要因として、介護者と利用者との「情報の独占による非対称性」があります。よりよい介護を行うために、介護者は利用者の性格や家族構成、生活全般のことを知ろうとします。一方、利用者は介護者のことをほとんど知らず、また知ることを許されないことがあります。介護者は匿名であるのに対して、利用者は個人として特定されることが、両者の決定的な不均衡と差異を形成します。

さらに得た情報を元に個人の言動を社会問題へと昇華させ、社会的正常/異常と照らし合わせる役割を担います。しかし、介護の場面においては、介護者はこの事実を必死で否定し、隠蔽しようと努力します。なぜなら信頼関係の構築が必要だからです。信頼関係は専門用語として「ラポール」と呼ばれ、介護を成功させるために重要なものとされ、介護者には、雰囲気作り、言葉、態度を適切に行うことが求められます。介護者の努力により、利用者は自分にとって味方であり脅威な存在にはならないと、安心感や信頼感が生まれるといわれます。

介護者が認識すべきは、介護を行う過程において権力性は常に存在し、多くの影響を与えることを認識したうえで始めることです。介護者の「友好的な優しさ/共感」を前面に押し出すことは、権力性を少しでも介護受益者に感じさせないようにする技術でしかないのです。


ボランティア

日本のボランティアの一番の問題は、ボランティアする側とされる側に分かれていることです。障害のある人も、高齢者も、誰もがボランティアできるし、誰もが困ったときは助けられるべきです。できないことがあっても、何かできることはあるはず。両方を経験すれば、提供側、享受側の気持ちが分かり、よりスムーズな関係が築けます。よって障害のある人も積極的にボランティアをする側になるべきです。