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肺炎で入院(2)

2007/01 - 2007/02

ウユニ塩湖 / ボリビア


サンペドロ・デ・アタカマ

早朝サンチャゴから飛行機で、カラマへ移動。 カラマにはチリ経済を支えるチュキカマタ銅山がある。世界最大の露天掘り。巨大なトラックが有名。空港からチュキカマタ銅山までタクシーで8000ペソ(1600円)。

銅山見学ツアーがあると思ってたら、ツアーは夕方しかないという。見学をあっさりあきらめた。現在、チュキカマタの街はゴーストタウン。鉱山労働者は全てカラマに移住させらていた。親切なタクシー運転手にそのままカラマのバスターミナルまで送ってもらうことにする。すべて合計10000ペソ(2000円)なり。

間違ったバスターミナルに連れてこられたので、カラマの町を歩いて目的地サンペドロ・デ・アタカマまでのバスを探さなければならなかった。ガタガタ道で歩きにくいのもあるが、どうもしんどかった。後になって思えば、カラマは標高2000メートルを超えているので酸素が薄かったのであろう。前夜の遅い就寝と、早朝の飛行機出発による睡眠不足からの疲労と考えていたが、このとき既に高山病の気配があったことを認識すべきであった。

お腹が減ってカラマでレストランを探すが、うまくみつからず最悪のカフェに入ってしまった。エネルギーも十分につかないまま、正午過ぎのバスでサンペドロに移動。1500ペソ(300円)。1時間のバス旅だが、車窓を楽しむことなく、ひたすら爆睡していた。振り返ると体調は悪かったのだ。

アタカマ砂漠にポカンとあるサンペドロは、小さくて徒歩で歩き回れる観光に適した町。安ホテルが満室などで、なかなか宿がみつからず、苦労したが、なんとか部屋をゲット。受付で働くチリ美人に癒される。で、記念撮影なり。

腹が減っては戦が出来ぬ。改めてレストランに入った。観光客用なので少々値段は高い(1000円弱)。メインディッシュは、サーモン。とても美味しかったので、またもやパチリ。

サンペドロでは2泊するつもりであったが、思ったより早く町に着いたし、宿が快適でないので1泊に変更。翌朝出発のボリビアに抜けるツアーに参加することにして、旅行代理店を訪問。即決した。町には何件か旅行代理店があるか、どこも値段やサービスは似たりよったり。

PAMELA TOURS ウユニツアー 2泊3日 80ドル(入場料は別)に申し込む。宿泊・食事・ドリンク付きでこの値段とは安すぎです。でも安いだけあって過酷であります。

チリから、ウユニ塩湖を通ってボリビアに抜けるツアーは毎日遂行されており、現地手配で何の問題もなし。旅行会社も、連絡を取り合って、客の人数調整をしていた。

ツアー手配も終わり昼寝。夕方、町を散歩し、夕食はバーでピザを食べたが、ワイン1杯のサービスがあり、飲んでしまった。後で知ることだが、サンペドロは標高2600メートル。高地初日にアルコールとは自殺行為であった。アルコールを飲むと睡眠時に、十分な呼吸が行われず、酸素不足になるのである。


ウユニ塩湖ツアー

朝8時。20人弱が旅行代理店の前に集まっていた。多くの人がボリビアに行くようだ。国境での出国手続きに1時間半待たされたが、ワンボックスバスは荒野を進んでいく。ボリビア側の出入国管理に到着。ボリビア入国手続きと国立公園入場料を支払う。標高3400メートルのこの地点で朝食。時刻は10時30分と遅かった。

標高5930メートルのリカンカブル火山を背景に記念撮影。ここからは舗装されていない悪路が続くため、4WDに乗換えることになる。我々のツアーは、合計11名。日本人(私)、イタリア人3名、スペイン人1名、ドイツ人4名、韓国系米国人2名。

現地ツアーに参加すると、色んな出会いがあり、会話が楽しい。私の車は、イタリア人とスペイン人と一緒。私はイタリア語が話せたので、コミュニケーションが可能に。語学は大切であること、話せたほうが楽しいことを再認識した。

サンチャゴでお世話になったジャコモはイタリア系移民であったので、彼はイタリア語を話せた。スペイン語より、イタリア語のほうが遥かに理解しやすい私に、いつもイタリア語で話していた。このウユニツアーでもイタリア語でコミュニケーションを取るようになり、学生時代に勉強したイタリア語の単語をずいぶん思い出した。昔とった杵柄に感謝です。

リカンカブル火山のふもとにあるカルデラ湖 「ラグーナ・ベルデ(緑の泉)」。帰国後、フジテレビ「世界の絶景100選」にて紹介されており驚いた。確かに、番組宣伝の「標高4400メートル 緑に輝く天空の湖」と聞けば、すごい!と思ってしまうが、写真を撮っただけで通過。特筆するほどの絶景とは思わなかった。

さて、4WD車は途中に故障しながらも、白い湖、緑の湖を通過して、温泉に到着。 標高4400メートル。

温泉があることなんてしらなかったので、水着やタオルは、頑丈に縛られた荷台にあるリュックの中。それでもせっかくの機会、着替えもないのに温泉へ入ってしまいました

 

 

温泉といっても、プールみたいなもの。温度も39度くらいかな。ちょっと生温い。張り切って、はしゃいだのが間違いであった。

温泉から出ると、風邪を引いてしまった。喉が痛い。熱っぽい。着替えがないので、下半身は濡れたまま。車の外の日差しはとても強い(酸素も薄いから。砂漠だから)。だんだんと体調が悪くなる。気分も悪くなり、ようやく高山病だと自覚した。高山病対策で浮かんだのは、水を大量に飲むこと。とりあえず、水分だけはマメに補給した。

体がだるいので、車では、うつらうつら寝てしまう。後にわかることだが、寝ると酸素吸入が少なくなるので、余計に高山病が進行してしまう。

車は悪路をどんどん上がっていく。間欠泉のあるところに着いたらしく、硫黄の匂いがたちこめる。皆が降りて観光するが、私は体調が悪いので、車に残って休憩することに。温泉の噴出しなんて、日本でいっぱい見ているから、興味をそそられないというのもあった。

間欠泉の辺りが、この旅の最高所であったことを後に知る。なんと5400メートルなり。ツアーはただ自動車に乗っているだけだから大丈夫だと思っていたら、甘かった。高い標高、乾燥した大地、強い日差し、過酷な環境であるので十分に体調を整え参加すべきであった。もう完全に、私は高山病でダウンした。

1日目の泊まるところに、ようやく到着。 4300メートルと高いが、先程の峠よりは気分が楽になった。ここで昼食となるが、もう時刻は16時30分になっていた。体調を壊した私に、ツアー仲間が親切にしてくれる。 内臓機能も低下しており、食欲もない私。高山病対策としてコカ茶を飲んで、薬をもらった。

少し回復したかと思ったが、10分後に吐いてしまった。温泉後に、おやつとして食べたパナナチップスも油が悪かったようだ。胃が荒れていた。大量にとった水分も全て出ていった。水分をとっても吐く。夕食時にも同じことを繰り返した。最悪である。昼食後のツアーはキャンセルし、宿舎で休息。 体がしんどいので、ただ寝るしかなかった。

2日目の朝。起きていきなり吐いてしまった。液体のみの嘔吐。車に乗るときにも吐く。朝食のマテ茶とケーキを嘔吐してしまった。でも、朝に強引にトイレでうんこを出せたので、それだけが救いであった。当たり前だが、車いす用トイレはないし、そもそも普通のトイレすらないところであるから。

2日目は更に悪路が続いた。1日目と同じ風景が続く。緑が全くないので退屈である。奇岩が並ぶところで観光。4600メートル。乾燥した大地。強い風によりできた不思議な光景。カラ元気で記念撮影。精一杯の強がりです。

 

車いすでこぎにくい大地だし、高山病でふらふらなので、周囲を歩くこともできなかった。一人のんびりと、ぼーと過ごす。

フラミンゴが生息する干潟に到着。4250メートル。歩くのはしんどいが、ツアー仲間が「ガンバレ」と応援してくれたり、車イスを押してくれた。

 

過酷な自然環境でも生き延びる生物がいることに驚かされる。動物にとっての天敵である人間がいないから、逆に快適かもしれない!?

2日目の宿は、塩で作られた家。 3600メートル。ゆっくり楽しむ余裕もない。食事も取ることができない。ただ倒れて、寝るだけであった。夜は冷え込むので、毛布を一枚多くもらうことにした。

3日目、遂にこの旅のハイライトである「ウユニ塩湖」に到着した。一面、白い世界。 雨季であるため湖面に青空が反射して幻想的な風景である。とってもサイコー!と言いたいとことであるが、体調が最悪なため、楽しむことはできない。

 ツアー仲間のイタリア人と記念撮影。せっかく来たのだから写真ぐらいは撮らないと。でも体調は最悪。顔が曇っているでしょ。

車は、イスラ・インカシに移動。塩湖の中にポツンとサボテンが生息する不思議な島です。3660メートル。ここで1時間の探索。

 

ツアー仲間のイタリア人が、「きーじー、散策しようぜ!」と、私の車イスを押してくれました。固まった塩で車イスを壊さないように慎重に道を選びながらの探検。本当にありがとう!親切に感謝!

3日目の昼食も塩の家。食欲なし。この後、1時間ほどでウユニの町に到着しツアーは、終わりました。高山病で体調を崩したからといって途中でツアー離脱しようにも僻地なので逃げ場はなし。ただただ車に座り、うつらうつら寝ていた3日間となりました。

自然環境が苛酷なので、オススメ出来ません。体調を整えて、日程に余裕をもってツアーに参加ください。何より命が大切。高齢の人などは十分に注意ください。


ウユニから、ラパスへ

ウユニの町では1泊して静養した。食事も少しは取れるようになっていた。翌日、病院を探して、診察を受けることにした。病院というより診療所というほうが的確かもしれない。高山病と診断され、標高の低い町へ移動することを勧められる。同時に酸素吸入をうけた。

体調が悪いとき、いつも自然治癒力に任せていた。十分な睡眠と栄養のある食事で回復するものだと思っていたが、甘かった。

ウユニから、標高の低い町へ移動しようにも、近くにはない。バスも乗り継がなければならない。また、今後の目的地はペルーのクスコである。いずれにしても高地に戻らなければならない。結局、夜行列車で、オルーロ(3750メートル)へ移動した。

夜行列車に乗るのは必死だった。体調が悪いので1等席を購入したが、車両は端っこ。ホームと車両は1メートル近い高さがあるし、暗闇の中、なんとか車掌をみつけて乗車。座席に座ると、いつのまにか就寝。翌朝に着いたオルーロでは、車内での記憶がなかった。

オルーロで、どうやって行動したのか、断片的にしか覚えていない。駅の周辺にホテルはなさそうだったので、タクシーに乗ってバスターミナルへ移動した。どうやってタクシーに乗ったのか、幾ら支払ったのか覚えていない。バスターミナルの上にはホテル(ガイドブックに書いてあった)があり、そこにチェックイン。クレジットカードの明細書があるが、幾ら払ったのか?どんな部屋だったのかも覚えていない。一泊して、翌朝のバスで首都ラパスへ向かったが、夕食や朝食に何を食べたのか覚えていない。オルーロのバスターミナルからどうやって、ラパス行きのバスに乗ったのかも覚えていない。

本当なのだ。丸1日の記憶が抜けている。なぜか? 高山病の症状の一つに低酸素脳というのがある。意識混濁するのだ。酸素が薄い土地で、さらに酸素摂取量が減り、脳みそにも酸素がいきわたらなくなるのであった。恐ろしい。


入院

オルーロから首都ラパスへのバス車内。ときおり目を覚ます最前列に座った私は、なかなか到着しないなと、ぼーとしながら外を眺めていた。

車窓がとても賑やかになってきたので、ラパス市内に入ったことはわかったが、どこで降りたらいいのだろう?途中下車する乗客も現れ始めたので、注意して目を覚ますようにしていると、大勢の人が降り始めた。バスターミナルに着いたようなので、私も降りることにする。

バスを降り、駅のような立派な建物が目の前に見える。自分がどこにいるのかわからない。さて、これからどうしようかと考えていると、パスポートがカバンの中に入っていないことに気づいた。私は取り乱し、パスポートがない!と叫んだ。通常こんなことはしないが意識混濁による異常行動である。

何事かと人が集まりだしたが、ふくよかな一人の女性警官が私に近づき、異変に気づいてくれた。なぜだか知らないが、私を日本大使館に連れていってくれるとのこと。他の男性警察官を2名、大声でよびつけて、パトカーの手配をしてくれた。

どうやってパトカーに乗ったの覚えていない。どんなパトカーであったのか、警察官が何人いたのかも覚えていない。日本大使館の外観がどうだったのかも覚えていない。どうやって中に入ったのかも覚えていない。気づいたときには日本大使館の人と面談をしていた。

日本大使館で私は、「キト(エクアドルの首都)に居る」と答えたらしく言語不明瞭。尿失禁もしていたとのことで、医務官の診察を受け、緊急入院となりました。救急車で病院へ搬送されたということですが、覚えていません。

病院でレントゲンを取ると、私の肺は真っ白。恐ろしいことです。扁桃炎から肺炎をきたし、重度脱水状態に高山病が加わり、低酸素脳症となった状態。そういえば、倒れる前の数日間、ほとんど尿をしておりませんでした

パスポートを紛失したと思っていたのは勘違い。車イスのポケットにチャックも閉めず無造作に放りこんでいた。ラパス到着後、挙動不審だった私に、親切な女性警官が声をかけてくれたのが生死の分岐点。彼女に命を救ってもらいました。

 

単なる高山病だから安静にしておけば、寝ておけばいいやと、体調悪化や病気に対して無自覚でした。その間、肺炎が進行し、少ない酸素の高地で、更に肺への酸素供給量が減少。脳へ酸素がいかなくなり意識混濁。思考力も低下。

レントゲン写真で肺の状態(左が入院初日、右が退院時)を比較ください。直接的な原因は、温泉で泳いだことによるウイルス性肺炎、それに高山病が併発。

9日間の緊急入院。一歩間違えたら死んでいたかもしれません。あまりにも無知でした。薄い酸素(標高4000メートル以上の高地)。強い日差し。乾燥。気温差。過酷な自然環境と、十分な体調管理が必要であることを知っておくべきでした。

 

異国での入院生活。24時間点滴のため腕が自由にならないのが大変。下半身不随で歩けないからトイレに行けない。ベッドの傍らに尿器を置いて、ひたすら尿をとる。でも、大きいのは失敗ばかり。漏らした後のベッド上での下痢うんち事後処理は大変でした。体力が回復し、自力で車いすに乗れるようになるまでは苦労しました。

看護士、栄養士、掃除雑務の人とのコミュニケーションは、もちろんスペイン語。病院には多くの研修医がおり、勉強のためかよく私の肺音を聞きにくる。賑やかな病院でありました。

日本人の医務官も頻繁に顔を出してくれました。大使館の領事は家族への連絡や保険のことなどに奔走してくれました。万が一にそなえ、誰か家族を呼ばなければならないと言われましたが、南米の僻地には簡単に来れないこと、途中から病状が回復したこともあり、騒動の末に家族の迎えは無し。多大な心配をかけてしまいました。

 

入院中、病院の単調な食事にも飽きてたので(上左写真は一番美味しかった食事)、日本食レストラン(南米には結構あります)から出前を取れないかと考えました。願いは通じ、4日目から毎夕、日本食を堪能することに。外国での単独入院。誰かに、菓子や果物を買ってきてもらうわけにはいきません。

毎日出前をしてくれた日本食レストランは「Ken-chan」。現地人を相手に商売をしているので値段も安い(定食で500円ほど)。オーナーのけんちゃんは出前の後、いつも私の話し相手になってくれました。

けんちゃんは15年前にバイクで南米旅行中、ボリビアのサンタクルスにて転倒し、足を骨折。当地で1ヶ月の入院をした経験があり、海外入院の苦労を知っていました。でも、その事故が運命の出会い。入院中に知り合ったボリビア人と恋に落ち、結婚。日本へ一時帰国し、数年間佐川急便で働き資金を貯め、ボリビアへ移住。ボリビアの経済都市サンタクルスで日本食レストランを大繁盛させ、1年前に首都ラパスに2号店オープン。3人の息子がおり、幸せそうでした。何より自分自身の力で生きている人は逞しい。手打ち麺が美味しく、ラーメンと焼きそばは最高でした。

ところで、入院したときに、ズボン2つ、カシミアのタートルネック、尿をとる小さなボトル2つを紛失。間違って捨てられたのかもしれませんが、はいていたズボンはどこに消えたのか? 困ったものです。退院時にはくズボンがないので、けんちゃんにジャージーと服を譲ってもらいました。本当にありがとう!

 

命を救ってもらった医師には感謝。担当医の先生(左)は、日本への留学経験があり、とっても親日家。日本のODAや国際協力の恩恵を受けることができました。ありがとうございます。

日本大使館の担当医務官(右、背の高い方)は、偶然にも過去に脊髄損傷について研究経験があり、私の障害状況にも精通しており、入院時の床ずれケアについて看護士に厳しく言ってくれました。また医務官は、脊髄損傷という障害が疾病と因果関係があるかもしれないと言っていました。

私は折った背骨が固定されているため、体を後ろに反ることが全くできません。また、腹筋背筋も下半分は麻痺しています。よって気道確保がしにくいのです。ゲップがしにくい。タンを出しにくい。深呼吸がしにくいことは高度では致命的。

損傷部位が上位の人などは横隔膜の動きに制限があるので、高地旅行は危険ですね。過去、脊髄損傷と高地に関する論文はないそうですが、初めての事例として、車いすの旅行者がボリビアで倒れたことは、外務省には報告するとのこと。脊髄損傷と高地の相性はとても悪いことがわかりました。

標高4400メートルの温泉で調子に乗って、泳いでしまい、ウイルスを摂取したのかもしれないが、痰を吐くとか、ゲップをするとか、細菌を体内から出せばよかったのかもしれないが、免疫力が落ちていた。過去、ハンドサイクルでのロッキー山越えなど経験し、高地も大丈夫だと思ってましたが、十分な時間と体力が必要ですね。以後、気をつけます。

※入院治療費は約40万円。帰国後、クレジットカードの保険により全額支払われました。助かりました! 


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