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ミャン
マー旅行

1999/02

ヤンゴン → ニャンウー(バガン) → ヤンゴン


1995年1月17日午前5時47分。
神戸を襲った大震災。多くの犠牲者の中にミャンマーからの留学生もいた。
のんきな私が生きて、一生懸命生きている人が死ぬなんて。彼女たちの笑顔が忘れられない。


留学生の言葉

学生時代、ミャンマーからの留学生が、「ミャンマーはもてなしの国です。ぜひ来て下さい」 と言っていた。
心のどこかにその言葉が残っていた。阪神大震災で犠牲になった留学生の母国を訪れたいというのもあった。
現在留学中のミャンマー人の弟さんが首都ヤンゴンにいるので連絡を取り、ようやく訪れる機会となった。 

この思いが通じたのか、ミャンマーに魅力があるのか、
ミャンマーは、留学生の言っていた通り、人々のやさしさに触れられる本当に素晴らしいところだった。


ミャンマーの現況   

ミャンマーは、軍事政権が続いており、経済活動もかなり制限されている状況です。
だから、資本主義の悪しき面である「貧富の差の拡大」があまりみられない。
それが旅行者にとっては、人々が拝金していなく、また敬謙な仏教徒であるので、
ミャンマー人は親切な心を持っていて彼らの純粋な部分に触れられるので旅行していて楽しかった。
もちろん、外国人料金や多少のぼったくり、ふっかけはありますが、ほのぼのした国であります。

寺院に行ったとき、段差があったりして進めないと誰からなしに手伝いにきてくれる。
その上、一緒に中を案内してくれるなんてことがざらなんです。声をかけるまでもなく助けてくれる。
もちろん仕事がなく、みんなプラプラしてて暇なのもありますが。。

お金の要求もしてきません。お店によって見ていけとかいいますが、買う必然性もないです。
のんびりと何をするわけでもなく毎日が同じように、時が流れています。


ヤンゴン

熱帯雨林の緑と金色に輝くバコダの美しい街。高層ビルのないシンガポールという感じです。
街のどこからでもシンボルであるシュエダゴンバコダが見れる。
お祈りは自分が生まれた曜日の神様(8曜日ある)の場所で。
旅の技術的には、1日タクシーを借り切ってヤンゴン中をまわりましょう。


パガン

アンコール(カンボジア)、ボロブドール(インドネシア)と並ぶ世界三大仏教遺跡の一つ。

赤茶けた大地、千を超えるバコダの向うに沈む夕日は必見。
馬車で周るもよし、レンタサイクルもよし、シクロもよし。
エリア全体が実に
幻想的で壮大です。 また、田舎ならではの現地の人々との交流も楽しい。


ポパ山

バガンから車で1時間半。ミャンマーの精霊信仰の聖地。
断崖絶壁の岩山の頂上に寺院が建っている。麓から山頂まで急な階段が続く。
まるで漫画や空想の世界。高所恐怖症の人は登るのを避けて下さい。

世界遺産にもなっているギリシャのメテオラ(断崖絶壁の上に修道院がある)同じように、
信仰の力が成せたものなのか。人間の力は凄い!

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まさか、そのポパ山に、車イスの私が登るとは!

車イスでポパ山を登るのは絶対に無理なんで、見に行くだけでというつもりで行ったのに、
ポパ山の麓を歩いていると、土産屋のおばちゃんが「あんたも登りなよ」と薦めててくれた。
担ぎ屋さんに担いでもらって登りました。老人や体の悪い人も山の上の修道院に行けるようにしてくれてるんでしょう。

でも、私より小さい二人が担ぐんです。籠も、棒と布のシンプルなものです。
途中で手を離されたり、よろけたり、籠が壊れれば、崖に落ちます。乗るにも根性いります。

命の保証はしません。担ぎ手への信頼感が必要です。普通の人でもポパ山を登るのは大変なのに、
重たい俺を担いで神聖なる場所に連れていってくれた担ぎ手には、チップを弾んでお礼をしました。

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ミャンマー旅行のポイント 

1)友達の友達はみな友達だ。

現地の人と友達になり、その友達を紹介してもらい、またその友達という風に友達で何でも成り立つ社会。
もう誰でも友達、友達になろう。

2)民族衣装(ロンジー)を着て現地人になりすます。

観光名所では、現地レートでは法外な外国人料金を政府にとられるので、
姿形は日本人と変わらないミャンマー人になりすます。すると無料です。
私も、友人のアドバイスでミャンマー人になりすまし日本語を話さないようにしてパコダ(寺院)に入りましたが、
裸足になっている足が白いので、顔は焼けているけど、ミャンマー人でないとバレました。

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~ この2年半後、友人ジャーミーが、彼らを訪れました ~
 

ミャンマー感動物語

2001/11  by ジャーミー

<ミャンマーへの道のり>

私はアジアが大好きで、ここ数年はタイやラオスの少数民族や田舎をふらふらとしてきた。
きーじーに「今度はミャンマーに行くよ」と話すと
「じゃ、世話になった友達がいるから手紙を渡してきて」と頼まれた。

もともと、きーじーと私を結ぶルートはミャンマーであり、
私がミャンマーの情報をネットで探している時にきーじーのサイトがひっかかり、
それがもとで友達になったのだし、じゃあ持っていくかということになった。

   

<手紙を直接渡す理由>

ミャンマーの郵便事情、というか全てにおいてすごいことになっています。
マーケットも郵便局も人の気分によって開いたり閉まったりするようなお国柄。
ミャンマーからの郵便はほとんど90%以上届かないといっていいでしょう。
切手取られちゃうからね。

そんなワケで直接渡す必要があったのです。
それに友達の私がわざわざ日本から持っていったら面白いでしょ?

  

<手紙の危機>

バガンの町は小さくて、馬車でのんびりと観光できる環境にあります。
当日、予約していた馬車の運転手の隣に小学生並にしか英語を話せない男が座っています。

「あんた雇ってないよ、降りて。」

「ミスター(おいおい、私は女だっつーの)私はガイドです。
 今日は仕事がないので一緒に回ります。運転手は英語を話しません。」

「あんたも話せないじゃん。いらない。」

「値段は一緒です。大丈夫です。」

あああ、うるさい。

 

ここでちょっとミャンマー人とミャンマーのお国柄を説明しておくと、
とにかく「信じられないほどのんびり」しているのです。

田舎のレストランにいってカレーと野菜炒めを頼んで50分何も出てこないなんてザラ。
待ちきれない友人が「私が作る!」と言って席を立ったこと数回。
忘れちゃったのかな? と不安に思ったこと数回。
「ホテルで寝て待ってるから出来たら呼びに来て」とお願いしたかったこと数回・・・・。

悪気がないことだけが救いです。

農業で生計を立てていない仕事がないヒマな男(例えば上記の男)が昼からふらふら
しています。観光客をみつけるとこのようにのらりくらりとたかりに来ます。

 

「今日はアーナンダー寺院に行くの。手紙を渡さないといけないから。」

「ちょっとその手紙を見せて」

「いいよ、これ」

「これにはウィンと書いてある。私の名前はウィンだ。私宛に違いない。」
(偶然にもそいつの名前がウィンだったのだ。マジで不幸)

「なワケないでしょ。早く行け。」

「この手紙にはお金が入っているのか?」

 

その一言で朝から土産物屋のしつこい奴らにただでさえいらいらしていた
私のストレスの矛先がそいつに照準が当たった。

「ああそう。じゃあさ、友達なワケね。彼の名前は何?職業はなに?
 年はいくつでどこに住んでるの?」

「(沈黙)」

「入ってるワケないし、おまえがそのウィンなわけがないでしょ(理由ナシ!!)。
 今すぐ降りろ。家まで歩いて帰れ!」

 

ひとしきり怒った私に友達が一言いいました。
「ジャーミー、ビールでも飲もうか?」持つべきものは冷静沈着な飲み友達!
こうして手紙を死守した私達はビールを飲みにカフェに入ったのでした。

   

<さあ気を取り直して>

アーナンダー寺院に到着すると早速人に囲まれまくり。姫は疲れたぞよ。

「おねーさん、キレイね」「おねーさん、1ドル」「ペンは持っているか?」
「食べ物を持っているか?」「とても安い、見るだけ」「私の手作りです。見るだけ」

ええい、うるさいぞ。

日陰を求めて寺院に入ろうとした時にふと他の土産物屋のお姉さんと目があった。

「ウィンとマウンを知っている?」

「知ってるよ、上にいる」

「呼んできてくれない?」

「いいよ、でも何で?」

「ここに車イスで来た日本人覚えてる?その人から手紙を預かっているの。」

「よく覚えてるわよ。ちょっと待っててね。」

 

ウィンは物音もせずにゆっくりと現れた。

「君があの日本人の友達なの?」

「そう、これ手紙」

「ありがとう、彼は元気か?」

「すごく」

「もう足は良くなって歩けるようになったのか?」

 

そこで私は思わず苦笑してしまった。

そうだよね、きーじー見たら怪我してるだけって思う人はすごく多いだろうな。
ずっと歩けないんだよ。 その言葉を飲み込んで私は答えた。

「でも水泳で新記録作ったり、本を出版したり、講演したりしてるよ。
 一緒に中国にも行った。」

ウィンは出版も講演も中国も興味がなかったみたいだけど、
水泳の新記録にはかなり興味を示していた。

 

「マウンは?」

「彼はもういない。お金を貯めてタクシーの雇われ運転手になったんだ。」

それは、炎天下に自分の書いた絵だけを観光客に売って収入の糧にしている人達にしては
「貧困からの脱出」を意味する。

 

夕方、ひときわ背の高いバコタによじ登ってエーヤワディー川からの風と、
夕日を一度に浴びながら私は心の中に渦巻くものの意味を考えていた。
 


アーナンダ-寺院

バコダの中からの眺め

やっと会えました!
(マウンの弟 と ウイン)

きーじーの恩人達と

女の子の修行僧
(ポパ山)

パオ族の朝

ピーナッツ畑の少女
(田舎の風景)

今日も快晴!

<ジャーミーのミャンマー旅の知恵>

・事前にロンリープラネットと地球の歩き方を読み比べておくことをおすすめします。
 お互いに書いていない情報などがあってとても便利。値段や見所も本によって違います。

・今回私は「チェキ」を持参しました。
 少数民族の家族をポラロイドで撮ってあげてプレゼントするとミラクルがおきます。
 皆とてもよろこんでくれました。

・少数民族の中には外国人やカメラを極端に怖がる人たちもいます。
 とにかくいきなりカメラを向けたり、写真をいきなり撮ったりしないこと!
 必ず事前に撮っていいかどうか聞きましょう。
 NOと言われたら当然撮らないことがマナーです。彼らの文化や慣習を尊重しましょう。

・バガンを観光しているときに、ドライバーやガイドが「このバゴダを見ろ」と
 馬車を止めますが、「えー何だかしょぼいからこのバコダはパス」・・・しないこと!
 必ず見ましょう。上までよじ登れるバコダだったり、内部に素晴らしい壁画があったり
 します。それらはガイドブックには書いていない、生の情報だからです。
 ドライバーの言うことは聞いて回りましょう。

  

<コメント by きーじー>

ジャーミー本当にありがとう。そういえば、二人の出会いはミャンマーだったことを思い出し、感慨深くなりました。
今度は、結婚して嫁さんを連れて来ると彼らに約束したけど、いつになるかわからんので助かったわ。 
そやけど、「きーじーは相変わらず女に振られてばかりいる」と言ったのは余計やで。
 

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