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韓国旅行

1994/03


アメリカでは、日本の悪いところばかりが見えた。
韓国では、日本の良いところばかりが見えた。

そして、16年後の再訪。時が過ぎれば、世の中も変わる。
韓国社会はバリアフリー意識が芽生え、車いすでも旅ができる環境が整備されつつあった。


フェリーで上陸

夜中、福岡港からフェリーに乗りこみ、船中で一泊して、釜山港に到着。行商の韓国のおばちゃん達が酒盛りしながら騒いでいるなか、疲れていたので気持ちよく爆睡。まだ、このときは、これから大変な苦労をするとは思ってもみなかった。友人2名と一緒の旅行で、何かあったら彼らが助けてくれるだろうと気の緩みがあったのかもしれない。

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歩きにくい街

釜山の街を歩いて観光するが、これが結構大変だった。片側4車線とかの大きな道路があって、信号がない。歩道橋とか、地下道とかが多い。これは大変だなと思いつつも、横断歩道を探して、大回りをして渡るなどして一日、釜山を観光する。

悲しかったのが、釜山の魚市場で、下半身を切断した人が、台車みたいなものに乗って、手で地面をこぎながら動いてわめいてた。車イスに乗っていなくて、床を手ではいつくばる姿はいたたまれなかった。

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夕方になり、この日のうちに慶州にいくため、釜山駅に向かう。地下鉄で中心街から釜山駅に向かう。まず地下鉄に乗るのが大変だった。改札までも、階段の入り口だけで、エレベーターもエスカレーターもない。友人2人では、私は重たく運べない。おんぶは私が立って背負う人にひょいっと乗りかかれないのでウエイトリフティングみたいに下から担ぎあげないといけないので非常に難しい。階段では、4人の人に担いでもらうのが一般的方法である。

すなわち、あと2名の助けがいる。同じく地下鉄に乗る人に声をかけるが、英語で話しかけるせいもあってか誰も止まってくれない。本当なんです。誰も助けてくれない。

助けてくれるのは、まず若い人。儒教のせいなのか何なのか、年齢が上の人は振り向いてもくれない。また、軍人さんとか、カップルの男(彼女の前で格好つけたいから?)は手助けしてくれる。これ、韓国の街で介助を頼むときの法則。

地下鉄の改札も、車イスが通れそうな広いところもあるのに駅員に言っても開けてくれなかった。言葉が通じないのかもしれないが、車イスみたら手伝って欲しいというのわかるやん。仕方なく狭い改札を友人の手助けを借りて通り、車イスは上に持ち上げて渡して通りぬけた。エスカレーターは設置してあったので利用しようと思ったがすべて故障していて動かなかった。ホームに行くのにも、手助けを借りなければならず苦労した。


崩れ落ちる

なんとか釜山駅に着いた。これから大陸列車で慶州に出発だ。韓国の列車は、大陸列車なので乗り場に階段があって、車イスは乗るのに苦労する。釜山は始発駅なので、早めに乗車して、入り口に近い席に座る。

さて、道中は快適に過ごすが、乗ったからには降りないといけない。慶州駅に列車は5分停車と時刻表にはかいてあったが、5分といえど、介助してもらって降りるので、慶州駅に着いたら、すぐ降りないと残されたら大変だから素早く行動を取ろうと話合う。

いよいよ、慶州駅について、降りようとしたそのとき、ホームから、大きい荷物を抱えた人達が血相を変えて、列車に乗り込んでくる。ちょっと待て。降りる人がたくさんいるんだよ。車イスが降りるから待ってよ。デッキも狭いんだし。私と、私の肩と体を支えていた友人は、必死に叫んだ。 ちょっと待って!待って! ストップ!ストップ!!ウエイト!!!

しかし、そんなのは聞こえるものでもなく、降りようとする私達を無視して列車に乗ってくる人々。我々は降りる客、乗ってくる客にサンドウィッチされ、押しつぶされる。 ♪おしくらまんじゅう押されて泣くな。

やめてくれ~

私を支えてくれた友人の手は私から離れ、もろくも私の体は崩れ去った。ただただ流れに沿って床に落ちていくしかなかった。それはスローモーションのように、ゆっくりはかなく映像だけが流れるように。

嵐が去った。床に崩れた私は、体中を踏まれ、どろどろになった。友人も同様にもみくちゃにされていた。しばらく列車のデッキから動くことなく、互いに顔を見合わせ呆然とした。助けてくれないのも、つらいけど、傷つけられるのは、もっとつらい。


ソウルでの説教

このように慶州での電車の乗降で、ひどい目にあったが、ソウルでも大変だった。それは、道の向こう側に行くために、地下道を通っていたときだった。当然、階段や段差だらけで、歩く人々に手伝ってもらおうと、あるおじさんに協力を依頼した。

ところが、頼む人を間違ったらしい。そのおじさんは、手助けを頼むと、我々に眉をつりあげて説教しだした。韓国語なんで何をいっているのか正確にはわからないが、どうも

お前なんかが街を歩くな。家に居ろ。外に出るな!!!!

みたいなことを言ってくる。 助けを求めて説教されるとは、トホホ。。。

こんな不親切な人もいるが、親切な人もいて、説教おやじが去った後、「あいつのいうことなんて気にすることないよ。あいつは頭がおかしいのさ」とフォローを入れてくれる人もいて救われた。もしこのフォローがなければ、私はどうなっていただろう。立ち直れなかったかも知れない。 捨てる神あれば、拾う神あり。

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タクシーの乗車拒否

古都、慶州では、古い建造物を散歩しながら見学に行った。その帰り、歩いて帰るには遠いのでタクシーを拾おうと決める。

ところが、なかなかタクシーがつかまらない。観光地なので、タクシーが待機しているが、なぜか乗せてくれない。
困ったなー。仕方がないので、道路に出て、流しのタクシーを拾おうとするが拾えない。どうして? 車イスの人がいたら、拾いにくいのかな? それとも、日本人だから?

しばらく歩いて、別の観光地のタクシー溜まりがあったので、今度は作戦を変えてみた。友人が一人で交渉に行くことに。するとどうだ。友人は満面の笑みを称えて帰ってくるではないか。OKサイン。これでやっとホテルに帰れる。

ところが、私が、タクシーに近づいた途端。タクシー運転手は、突然 ” No driver !! " と叫びだして、我々を乗せようとしない。

車イスがいなければ乗れて、車イスがいると乗せてくれない。

廻りの他のタクシー運転手も我々に目を合わせない。やっとわかった。乗車拒否だ。電車に乗ろうにも、階段だらけだし、人も助けてくれない。なら、交通手段はタクシーか。それも乗せてくれない。つらいなー。どう動けばいいの? とぼとぼ1時間以上歩いてホテルに戻りました。

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ちなみに、日本でもタクシーの乗車拒否の経験は3度程あります。よく覚えているのは、車イスを積むと車が汚れるといって乗せてくれなかったタクシーです。しかしながら、最近は(90年代後半から)乗車拒否は全くなくなり、嫌味な運転手も少なくなりました。バリアフリー社会が進んだのと、不景気でサービス向上されたのでしょうか。

日本も時代とともにバリアフリーが進んできていますが、むかしは私が韓国で受けたような差別が、日本でも多かったと想像できます。いろんな差別が日本にも多かったと聞いたこともあります。韓国は「20年前の日本だ」と勝手に思ってしまいました。


唯一の良い思い出

嫌な人ばかり出会ってきたが、良い人ももちろんいた。

慶州での夜、韓国のお姉ちゃんと友達になりたいなということで声をかけようと決意。友人のアイデアで 「おいしいビビンバのお店教えてください」と聞く ビビンバ大作戦を決行。でも、私は数々のショックと、風邪をこじらせ戦意喪失。友人二人が頑張った。

何を言っているかわからない英単語を並べながら、友人二人は果敢にアタック。遂に、女の子をゲット。おいしいビビンバ屋まで連れていってもらう。となれば、一緒に食事をするのは必然。作戦成功です。いろんな話をしました。

店の人も親切で、ドリンクを無料サービスしてくれました。なんてイイ人達だ。どこでも身内になれば強いな、本当に。ただ惜しむらくは、彼女達は若かった。日本でいうところの中学三年生(たぶん)。途中から彼女達の友達も乱入して、受験話とか塾のハナシとかで盛り上がりました。なんでも、私営の塾というのは認められてないらしく大変だということ。韓国も受験戦争が激しいのだ。

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ちなみに、私が一番かわいいと思った子(私の後ろに写る白いシャツを着た女の子)は、当時、金髪であった私を見て、" Your hair is nice " と言ってくれました。韓国での、イイ思い出は彼女達と過ごしたわずかな時だけでした。


思えば災難続きの韓国旅行

最初は、下関から釜山にいくつもりだったが下関港では、行った日は、船がドックに入っていて臨時欠航の日でした。その晩は行くのをあきらめ、そのまま博多に移動して、親不孝通りで飲むことにした。

だが、車に乗りこむとき、友人が車イスのクッションを積みこみ忘れて、クッションが紛失してしまった。クッションがなければお尻に悪いので、次ぎの日、福岡→釜山のフェリーの出発時刻まで福岡の福祉器具メーカーを探して、応急でクッションを購入するというドタバタ劇を演じた。購入したクッションは、自分に最善のクッションでないので座り心地が悪かったので辛かった。

船が欠航、クッションが紛失。韓国に行くなという神の啓示だったのかもしれない。さらに旅行直前の4日間、東京から友人が来ていて、ずっと夜遊びをしていて風邪をひいていた。最初から、ケチの付いていた旅行だったのかもしれない。


~ 状況が改善されつつある韓国 ~

2006年 8月 記載

私が韓国を訪問したのは12年以上も前のこと。 21世紀に入り全世界的にバリアフリーへの取組みは劇的に変化しています。日本でも、12年前と比べると、隔世の感があります。ずいぶんと車イスでも自由に動ける世の中になりました。

非常につらい経験をした私は、あえてまた韓国を訪問する気にはならなかったので、状況の変化はしりませんでしたが、2005年1月に、韓国で「交通弱者便宜増進法(移動権法)」制定されたとのこと。バリアフリーへの取組みが積極的に変わっているようです。嬉しいことですね!

私と同じ脊髄損傷の車イス、旅好きで世界旅もする年齢も同じであるキーヤンさんは、韓国がお気に入りの国。印象というのは人によって随分違うものです。24歳の時に会社の慰安旅行でソウルに行ったのが最初で合計6回訪問。飛行機搭乗も、大韓航空、アシアナとも非常に親切で、車イス単独搭乗も問題ないとのこと。キーヤンさんが韓国の最新バリアフリー事情の写真を送ってくれましたので紹介します。

人気観光地「仁寺洞」にある身障者用トイレです。しかし鍵がかかっていたとのこと。利用したいときにすぐ利用できない!昔の日本(今でも)でも、鍵がかかっていることがありました。バリアフリーが進んでいないところによく見られる状況です。ちなみに、駅のトイレは鍵は掛かって無く利用できたとのこと。(1994年に訪問した私のときは全て鍵)。街中のビルにも車椅子トイレもあったが、明らかに設計ミスで使いにくかったとのこと。

  

地下鉄の写真です。元々バリアフリー設備は無かった(2002年訪問時)らしいですが、ソウル市長の政策で数年前にすべての駅に設備を整えたらしいです。すごいですね!政治強制力は強いですね!ただし駅ごとに使っている設備のメーカーや設計は様々とのこと。

  

車イス一人で地下鉄に乗りまくったそうです。駅には昇降機かエレベーターのどちらかはあるそうです。
昇降機を利用するときは呼び出しボタンが必ずあるそうですが、スピーカーの向こうにいるスタッフに英語は通じない。よって若い人に声をかけて韓国語で伝えてもらうそうです。若い人は割りと向こうから声をかけて来てくれることが多いそうな。でも、年配の人はあまり優しくない!とのこと。

  

街中で困っていたらお願いすると手伝って来てくれるそうです。でもお礼を言っても無愛想。店に入るにはすぐに手伝ってくれるし、いやな顔もされない。タクシーの乗車拒否は一度もないとのこと。(1994年に訪問した私は乗車拒否の嵐だったので、えらい違いです)しかし、白タクはかなり賃金も安いせいもあり、かなり無愛想。黒タクは観光客だと思うとボる。チャーターしたりすると、運転手がいろんな店へおぶってくれて非常に助かったそうです。韓国はみんな徴兵へ行くので、体が頑丈でおぶれる人が多いとのこと。

ただし、町で車イスを見る頻度は、日本より全然少ないそうです。悲しくなるほどに。南大門市場には道を這っている人もいたそうです。それもラジオを鳴らしながら。そして韓国には偏見があるみたいで、あなたは車椅子だからこうしなさいって言う。。。若い人には偏見が少なく、かといって日本の若い人のように無関心無関係ってほどでもないとのこと。

駅のバリアフリー設備を実際に利用する人は、まだまだ少ないだろうと推測。地方はソウルと違って遅れているそうな。外国人観光客を意識したものなのかもしれないとのこと。実態はあんまりよくわからないそうです。


筋ジストロフィーの女性 なおさん より

2006年 8月 記載

  

私も2006年7月にソウルに車椅子使って行ってきました。研修だったので、男性が何名か一緒にいて、いろんなところに行けました。インサドン、南大門、ミョンドンなど。確かに南大門市場には台車(台に車輪がついたようなもの)に乗って道を這っている、足のない人がいました・・。

以前に韓国に行ったとき(2002年8月)は、自分自身がまだ結構な距離を歩けるときでしたが、地下鉄ではエレベーターが少なく、不便を感じました。

今回は地下鉄で車椅子用昇降機を使いました。乗り換えがあったので、2駅移動するのに1時間近く掛かったのには参りました。(駅員が来るのにも時間が掛かります)ホームと電車に段があるのでテクニックまたは周りの人の力がないと一人で乗るのは大変そうだ!と私は感じました。さすがに帰りはタクシー使いました。白タクでしたが、トランクはあけてくれず、後部座席に車椅子を載せました。何も手伝ってくれませんでした。

ちなみに飛行機(大韓航空)はとっても親切でした。成田は空港の車椅子に乗り換えさせられたけど、ソウルでは搭乗のギリギリまで自分の電動車椅子(ヤマハ:JWX-1)に乗っていることができました。飛行機を降りるときは往復2回とも、飛行機の降り口に自分の電動車椅子を準備してくれました。

以前に行ったときよりも、ソウルの印象、よくなりました!!


韓国 建国大学 教授 講演より

2007年 6月 記載

韓国では、1998年に「障害者人権宣言」が設置され、バリアフリーが初めて認識されるようになった。1998年-2003年は、その啓蒙期。公共施設を中心に便宜施設設置(施設のバリアフリー)が行われた。ただ施設が作られただけで、作ることが目的であった。設置率は高いが利用率は低かった。

2003年-2008年は、点のバリアフリーから、線のバリアフリーの移行期。これからは実際に利用価値のあるものとつぃて、利用者を拡大していきたい。2008年-2013年は、面のバリアフリーとして、安定期にする。社会統合の検証として、バリアフリーの認証制度を確立し、普及につとめたいとのこと。

私が訪れた1994年は、バリアフリーの意識はやはりなかったようです。


16年振りの訪問

2010/02


ガンバ大阪のACLアウェイ試合の応援と、観光バリアフリーの講演をするために、16年振りの訪問です。日本も16年前と比較すると、随分バリアフリーが進んだように、韓国も劇的に変化していました。

仁川空港は完全バリアフリー。段差ゼロの空港鉄道が2007年、金浦空港まで開通して、車いすで利用できます。2010年12月に空港鉄道はソウル駅まで延伸されるので、より便利になります。

金浦空港からは、メトロ(地下鉄)に乗り換えて市内へと移動しました。ソウルメトロの7割ぐらいの駅が、エレベーターが有り、車いすで利用可能でした。ただし、中心部の古い駅、路線乗換は利用できないことが多いので、注意が必要です。その他、詳しい情報は、 韓国バリアフリー写真  を参照ください。

一方、実際の利用を考えず、ただ作ってしまったものもありました。免罪符としての設置がやはりあります。サッカーW杯の会場となったスタジアムにあった、車いすトイレは壊れていました。飲食店や服飾店、ビルの入口には段差が多く残ります。それでも、16年前と同じ国だとは信じがたいです。人々の意識も変わったようです。障害のある人も社会の一員。今回はタクシー乗車拒否はありませんでした。  

観光地もスロープが設置されたり、公衆トイレに車いすトイレができたりしました。ただし、宿泊施設のバリアフリーは遅れており、韓国の障害者達も困っているようでした。

 

講演を企画してくれた、「アクセス コリア」 で働く2人です。 韓国の交通バリアフリーを推進しています。何度も食事をご馳走してくれました。写真は、ランチのスットゥブと小皿です。美味しかったです。

 

左写真は、豚の三段腹肉「サムギョプッサル」。鉄板が斜めになっていて、キムチに油が通って落ちる工夫。右写真は、韓国のソーセージ 「スンデ」。朝鮮半島北部の名物料理。豚の血液、餅米、野菜、春雨などが入った腸詰め。お酒と共にどうぞ。

 

ところで、どこにいっても日本人がいました。外国人観光客の9割は日本人かも。女性が目立ちますが、学生、高齢者も多いですね。近いから、安いからも利用でしょうが、ヨン様は偉大です。何の偏見も民族意識もなく、韓国を楽しむ日本人旅行者が多くいました。 

私も、ようやく和解です。16年かかりましたが、韓国を再訪し、変化した社会を見ることができました。今後は、日韓バリアフリー観光の発展に協力していきたいと思います。


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