臭い!汚い!うるさい!(3)
2005/12 - 2006/01
聖地ベナレス / インド
陸路で国境越え ネパールのポカラから、インドのベナレスまで陸路で移動する。途中スナウリという国境の町で、インドの夜行バスに乗換えてベナレスに朝入るというもの。自称手配師に、1000ルピー(1700円)支払い、チケットを買った。 ポカラのバス乗場には、朝6時30分の集合。カトマンズからポカラへのバスが一緒で仲良しになった深沢さんもまた同じバスに乗るというので、ホテルから一緒にタクシーで相乗り。深沢さんは違うホテルだったのでピックアップしてくれた。深沢さんはネパールの専門家。ネパール語も話せる経験豊富なおじさんバックパッカー。 バスは、おんぼろだった。一番乗りだったので、さっそく座席をキープする。入口に最も近い椅子を陣取った。なぜなら乗り移りが容易だから。50分後、時計の針が7時を廻ったころ、バスの座席が埋まり始め、ようやく出発した。 バスは険しい山の中を進んでいく。曲がりくねった狭い道。運転には相当の技術が必要だろう。できる限りのスピードを出す。タイヤが滑ったり、はみ出れば谷の底。対向するバスやトラックとは、いつもすれすれ。ヒマラヤの氷河から流れ出る川の色が透明で美しいのが、せめてもの救い。あまりの揺れと乗り心地の悪さに、珍しく車酔いをしてしまった。こうなりゃ座席で眠るしかない。 ぼーとしていると渋滞発生。自動車が動かない。途中の村で交通事故。野次馬が多くて混乱。屋根の上まで乗客があふれる現地ローカルバス(トラック)も、立ち往生。ボロい車に、いったい何人が乗っているのだろう。これも貴重な交通手段。山道を大きな荷物を背負って延々と歩く人もいる。どんな山奥にも人が住んでるのには驚かされる。
チャイ休憩、昼食休憩などを挟み、バスはようやく山岳部を抜けた。平野部が始まる。田んぼの風景。自転車が走り出す。気候も亜熱帯に突入し温かくなってきた。植生も変わった。これからスピードを出して一気に国境!と思ったところで、バスが突然ストップ。 乗客がバスの運転手と話し合う。どうやらバスはここで降りなければいけないらしい。前方の町に大学があり、その前で大きなデモが行われており、道路が封鎖されているとのこと。ネパールは政情不安でかなり治安が悪化しており、緊迫している時期だったのです。とばっちり。 乗客達は目的地の手前で下ろされたので、少しでも差額を返却しろと主張し、小銭をもらっていた。面倒なのでもらわず、バスを降りて、うんこをしたかったので野グソできるところを探しにいった。田舎とはいえ、どこにも人がいて、車イスの変な外国人は注目されるので、野グソは我慢。同じバスに乗っていた、英語の話せるインド旅行歴20年以上のアラスカ人や深沢さんとも相談して、リキシャで国境スナウリまで移動することにした。200ルピーでなんとか交渉成立した。 ネパールの田園地帯。新婚二人を乗せたリキシャがゆっくりと進んでいく。しかし、リキシャラの漕ぎ手はかなり高齢でガリガリだった。スピードがかなりのろい。元気な人を選べばよかった。なにせ15キロの距離があるのだから。。。リキシャの乗り心地はよくない。クッションが悪い。下半身に力が入らない私は、必死にしがみつかないと落ちてしまう。あー大変。 国境近くのネパール側のバイラワという町。そこにある旅行代理店&ホテルで、インド行きバスのチケットをもらうことになっていた。人に聞いて探しながら、ようやくリキシャが到着。ここから国境やバス乗場まで、またリキシャで進むのがいいので私はそのまま降りずに待つことにして、妻が旅行代理店に入り、チケットをもらいにいった。 ところが、妻は5分たっても戻ってこない。大声で呼んで状況を報告してもらうと、バスがキャンセルとなりチケットはもらえないらしい。妻は困り果てている。優しい顔の妻は相手にもされず、ダメだとつき返されていた。 ややこしい。とりあえず、私が出て交渉するしかないようだ。時間がかかりそうだ。リキシャに待ってもらっても面倒だ。ここで帰ってもらうことにした。1時間の労働、ご苦労さまでした。リキシャから降りて車イスに乗った私は背筋を伸ばし、旅行代理店の兄ちゃんと交渉開始する。 バイラワの旅行代理店は、バスはないから電車で行けという。ふざけた話だ。金は先に払っている! 夜行バスは諦めた(あったかもしれないが)。翌日のバスを代替で用意しろと主張を変えた。何があっても動かなかった。20分後、明日7時30分出発のベナレス行きバスのチケットをくれた。 なめとんかー! 値段が高くても、その日のうちに移動できるなら、現地でチケット手配する手間が省けるならと、ポカラで1000ルピー(1700円)を支払ったのは、アホだった。少なくとも、インドのバスチケットはもらえるだろうと安心していた。 現地人価格なら、おそらくネパール600円、インド600円ぐらいだろう。もっと安いかも。いずれにせよ、ぼったくられるところからは幾らでも取ってやろうとする価値観なのだろう。国境まで2キロ。ゆっくり歩いていった。もう今日は移動しないからだ。ホテルもすぐみつかった。国境にはホテルとレストランがずらっと並んでいた。 翌朝。余裕をもって早くに国境を越えた。手続きは簡単だった。乗るべきバスはすぐ見つかった。出発まで時間があるので、路地を入った屋台で朝食(ロティ、チャイ、スイーツ)を食べる。美味。 バスに乗った。車イスとリュックをトランクに積んでもらおうとすると、荷物代200インドルピー(520円)という。これだからインド人は嫌だ。アホか。なんで荷物を積むのに金を払わないといけないのだ。呆れてモノもいえない。他の乗客が来るまで待つほうが懸命だ。誰も払わないだろうし、結託して怒ればいいのだから。無視して座席についた。 出発時間の7時30分。バスにはあまり人が乗っていない。エンジンもかからず出発する気配すらない。外国人バックパッカーが数名。トランク荷物代を支払った人もいるようだ。幾らかしらないが。カトマンズから一緒だった、深沢さんも乗り込んできた。深沢さんは昨夜、国境でインドのバスチケットを購入していた。私達は政府のバスだと聞かされていたが、なんで外国人が全員集合なんだろう。怪しい。 8時30分。まだ出発する気配がない。インド人ビジネスマンらしき人が乗り込み、ちょっと安心する。外では客引きをやっている。値段交渉でもめている。どうやら満席になるまで出発しないらしい。ここで深沢さんが切れた! どうしてバスは出発しないんだ! おぅ! 俺は降りるぞ! トランク荷物代をしつこくせがまれること、出発時間を嘘ばかりつくこと、腹が立つ。深沢さんは一旦は降りたものの、他によいバスがないので(直通バスはこれのみ)、戻ってきた。だが、深沢さんのぶち切れにより、ベナレス行きのバスは9時10分に出発した。ありがとう。深沢さん。あなたのおかげで少しでも早くバスは出発してくれた。後日、同じルートで入国してきた旅行者に尋ねると「私のときは、10時に出発したわ」とのこと。 バスが出発してすぐの道沿いに、現地バスターミナルがあった。ここまで歩いて、交渉してバスに乗るが一番確実なんだろう。本数も多いのだと推測される。 出発して30分。すぐに朝食休憩。遅れているのだから早く進んで欲しい。それに休憩がやたらに長い。みるとタイヤを修理していた。出発前に整備しろよと言いたい。感情を消し去り、石になることに腐心した。単調なバス移動はこれしかない。平野を一直線に道が続いているが、町や村の中心部を道が貫くので、スピードが落ちる。 夕方、バスが路上でいきなり停車した。故障したようだ。時間がかかりそうである。乗客は皆、降りて、空気を吸っている。野次馬をちらほら集まってきた。インドの農村を見学できるいい機会ではあるが、降りるのは面倒なので、バスで寝転がることに。運転席の隣のスペースは座敷みたいになっていたので、ぐったりと横になった。 復旧まで1時間30分。なんとか野宿はせずに済むようだ。よかった。解決方法は単純みたいだったが、時間がかかった。もっと早く修理して欲しい。のんびりすぎる。 夜7時にベナレスに到着。冬なので、もうとっくに日が暮れていた。真っ暗な路上で降ろされる(駅の近くらしい)が、ドアの下の地面は何かぬかるんでいた。何だか臭いもする。牛のうんちだった。しかもほかほか。車イスの車輪はうんちまみれ。私の靴もうんち。介助した妻の靴もうんち。街灯もないから、暗くて見えないのだ。 2日間かかった長い移動の疲れがどっときた。いきなりのインドの洗礼に、妻はノックダウンされてしまった。 夜、ホテルのバスルームで、うんちを洗い流すのは大変だった。。。 うんこの街 ベナレスの街には、うんちがいっぱい。ほとんどが牛のうんち。山羊、野豚、鳥、犬、その他の動物もあるが、圧倒的に牛。牛はそれぞれ所有者がいる。放し飼いにしている。ゴミや紙などを食っている。 どうしてこんなに牛がいるのかというと、ベジタリアンの多いインドでは、タンパク源として、牛乳、ヨーグルト、チーズを非常によく食べる。牛はそれを生産してくれるもの。でも、牛肉は食べない。ヒンドゥー教徒、ムスリム(イスラム教徒)だから。キリスト教徒や仏教徒で食べたりする人、食べる地域があるがインドでは稀である。 よって牛をはじめ、動物が街を汚す。路上がトイレ。また人間の出したゴミも動物が食べてくれる。ゴミが有機物ならいいが、プラスチックやペットボトル、ビニールが増えてくるとゴミは蓄積される。動物が人間と共存することで、ゴミも排泄物もリサイクル仕組みとは面白いが、現代では大変だ。 インドでは、本当に多くの障害のある人を街で見ます。隣国スリランカやバングラディシュ、ネパールでは見なかったのとは対照的です。マサーラー文化(ごちゃまぜ)なので、障害もあまり気にならないのでしょう。 車イスの人もたくさん見かけますが、ほとんどが自転車型。途上国や旧共産圏でよく見られるもの。通常は中央のペダルで廻しますが、両サイドにペダルがあるのがインド式車椅子。大きいのが欠点ですが、平坦な道では威力を発揮。リキシャに混じって道路を闊歩しています。 車イスを持っていない人もいて、台車に乗って道路を這っていたりします。電車では盲目の歌手や物売り、肢体不自由の物売りが非常に目立ちます。バリアフリーの概念はほとんどありませんが、隠蔽されず、社会の中で居場所があるのはいいことです。世界を旅して改めて、「人種差別の少ないところ=障害者差別の少ないところ」と感じます。 沐浴場(ガート) インドで最も有名な観光地。ヒンドゥー教の聖地。ガンジス河が南から北へ流れるところに沐浴場が並ぶ。なんと84もの沐浴場がある。時の権力者や王様が作った眺めのよい離宮ともいえる。河岸を8キロほど埋め尽くしている。つまり、とても壮大で、延々と連なっている。 沐浴場は、すべて階段になっている。乾季と雨季では、水面の高さが変わってくるからだ。また、入り組んだ旧市街を抜けて、それぞれの沐浴場へとつながっている。車イスでの沐浴場観光は非常に厳しいといわざるを得ない。しかし、なんとか突入。中央部にある最も賑やかなダシャーシュワメード・ガードへ。階段を近くの人たちに担いでもらい、川べりに降りることができた。同行の妻が、ボートに乗りたいというので、従う。ボッタくりの値段だし、観光地なので、嫌なのだが、川から沐浴場を眺めるのがいいので、決めた。
階段の中にある、でっぱったテラスは、カーストの最上位バラモンがくつろぐ場所。カーストによって沐浴する場所も違ってくるのだろうか? それでも皆がごちゃまぜ。ベナレスの人々にとって、ガンジス河は日常であり、沐浴(お風呂)、洗濯、休憩の場となっている。洗濯屋さんも働いている。死体も焼かれ灰が流れているし、川の衛生状態はスゴイことになっている。
地元民にとっては、ガンジス河はお風呂です。インドの人々は、川は池を、風呂、トイレ、洗濯、炊事、生活の場としています。おっちゃんが、あそこを一生懸命に洗ってました。さすがに真っ裸になることはなく、破廉恥コードは守られているようです。
沐浴場は賑やかです。車イスでなければ、隅から隅まで歩いて、のんびりしたいものです。たった1時間のボートでしたが、十分に楽しみました。しかし、階段を担いで、車イスの私を道路まであげる手伝いをしてくれた後、さらなるチップを要求してくるインド人の狡さには、疲れ切ってしまう。本当にうっとおしいです。 |