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東アフリカ 大地溝帯の旅 (5)

2011/12 - 2012/01

アフリカ希望の星 / ルワンダ


19年前の大虐殺。総人口の8人に1人、100万人近い人が殺された。
隣人が棍棒をもって襲う。集団暴行。日本では阪神大震災があったそのときに。

負のイメージしかなかったが、訪問した後なら、良い国だと断言できる。
想像と実際は違う。これこそ旅の意味。体験の貴重性。


規範のある国

ウガンダの国境に近い町カバレから移動。陸路での国境越え。ルワンダの首都キガリに行くマタツ(乗合バス)を探すが無し。国境までは乗合タクシーが一般的らしい。助手席1名、後ろに4名、5名揃えば出発。1台20,000シリング。よって一人4000シリング(=約150円)。タクシー乗場に08:00到着。30分待って、08:30に出発。国境へは09:00到着。約20キロの良い道。

4名の乗客に日本人女性がいた。東アフリカ3週間の旅で、唯一出会った日本人。アフリカで働いており休暇で、ルワンダにゴリラを見に行くという。一昨日は、クィーンエリザベス国立公園でヒッチハイクをして、車の中を借りて野宿させてもらったそうな。彼女はルワンダのビザを持っておらず、国境で悪戦苦闘も根性?で取得。

国境で、余ったウガンダのお金を、ルワンダ紙幣に交換。立派な建物の公式両替所のレートは、1000シリング=200ルワンダフランと極端に悪く、立ちんぼの両替商で交換。1000シリング=240ルワンダフラン。

入国事務所の建物へは段差だらけで、車イスでのアクセスは難しい。こういうのが辺境を旅する上での苦労となる。周りの人に頼んで係員を呼んできてもらって、外で出入国の手続きをする。特別配慮です。

国境から、ルワンダの首都キガリまで、これまたタクシーをチャーター。20,000フラン(=35ドル)。日本人女性と、ルワンダのお金持ちさんと3人でシェア。私が多めに7000フランを支払う。4人シェアなら5000フランになるのでお得。ホテルまで連れていってくれる。同乗のルワンダ人が、車いすでも泊まれそうな中級ホテルを紹介してくれ、そこに向かった。

ルワンダは、千の丘があるという国名。山ばかり。首都キガリも坂ばかり。階段のない、段差のないホテルを探すのは困難。交通の要であるバスパークの周囲にも全然いいホテルがない。探しまわったが、結局最初に紹介してもらったホテルに宿泊した。

ホテルに荷物を置いて、すべてのバスが集まる「ニャブゴゴ」バスパークで翌日の移動を調べる。都市間移動。多くの会社が競争をしており、それぞれに車体の色や、職員のユニフォームも違う。驚くべきはチケット制。予約も可能。時刻表の時間通りに動く。途中乗降や下車もなく早い。車種はハイエースや、ミニバス。路線は首都キガリが全ての中心。

翌朝 08:25 キガリ → ゴマ(ギセーニ) のチケットを購入した。3100ルワンダフラン(約500円)。30分に1本運行。5分単位の出発時間が、正確さを示している。まるで日本みたい。

ある青年が私に話しかけてくれ、バス会社を案内したりしてくれた。彼は耳が聞こえない、ろうあ者。ルワンダの手話(たぶん英国手話BSL)を教えてくれたりした。こちらもお礼に、折り紙を折ってプレゼントしたりした。現金は恵まない。珍しい車いすの日本人はどこでも注目を集め、折り紙も欲しい欲しいと多くの見物人が殺到してくる。耳が聞こえないので差別される彼は、他の人達からはじきだされそうになるが、私は止めろ!と怒る。障害者としてのエール交換。南スーダンでもあったが、アフリカでは本当に障害のある当時者から声をかけられたり、挨拶をされることが多い。嬉しくなる瞬間。

ルワンダ。市民の足はバイクタクシー。蛍光色の安全ジャケットと、ヘルメットが必ず着用されている。乗客を1名しか乗せないことも徹底。その乗客もヘルメットを着用。規範があることに驚く。称賛したい。隣国ウガンダでは、ヘルメットは無し。乗客も3人とか平気で乗せていた。また道路にゴミがない。捨てないことにも驚いた。陸路国境を超えると明らかな違い。

買物袋が、ビニールでなく茶色の紙袋で全て同じに統一していることにも驚いた。エコである。ドイツみたい。これらが首都だけでなく地方都市まで徹底している。ビニールは途上国の各地でゴミとなり、路上に散乱している。ルワンダはゴミのないきれいな街並み。下の写真はショッピングビル。2階にインターネットカフェがあるので入りたいので、エレベーターあると思っていったら、細長い建物はらせん階段だった。 

ホテルの朝食。カトコという伝統食。煮込み(グリーンピース、じゃがいも、バナナ)。ボリュームたっぷりでお腹は膨れるが、おいしいとはいえない。段差などをホテル職員に担いでもらったりして、チェックアウト。

都市間を結ぶミニバス。車内で運賃を支払わず、事務所で乗車券を購入して乗る。私は前日予約。定時運行。空席があっても出発する。 

山道ばかり。車窓は豊か。大きなバスでは通行が大変なのでミニバスが活躍。路面状態もよく、定時運行、本数も多いため、アフリカにしては、移動はとても簡単です。


米国の動物園が援助する施設

ルワンダとコンゴ民主共和国の国境。ルワンダ側は、ギセーニという町。コンゴ側はゴマ(国連PKOとかでよくメディアにも出ていた場所)。その国境付近で、車いすマークの看板を見つけた。800メートル先に事務所があるので訪問してみた。

この辺りは、火山が噴火して溶岩流が流れ、道がガタガタ。車いすが壊れてしまいそう。途中から子ども達に押してもらいながら進む。しかし、最後のところで急な坂と荒れた道。子どもの一人に看板のセンターに行って、人を呼んできてもらう。事務所の乗用車に残り100メートルの地点で迎えにきてもらった。

お手伝いしてくれた子ども達とお別れ。敷地内には入ってこれません。ありがとう!

UBUMWE COMMUNITY CENTR 突然の訪問者である私を歓迎してくれ、説明をしてくれました。障害者のコミュニティセンター。ゴリラの絵と、zoo(動物園)の表示が気になるのでまず尋ねると、米国オハイオ州コロンバス動物園の寄付で作られた施設とのこと。2005年スタート。2008年に完成。

マウンテンゴリラを保護したい。そのためには地域が豊かに平和でないといけない。地域が荒れると森は破壊される。間接的に、地域支援をすることで、ゴリラの森も守るというわけ。建物は完全に寄付金から。施設の運営費は行政や自分達で集める。22人の従業員、8人の先生。土地は政府が無償提供。

障害者の職業センター。クラフト工芸、ミシン技術、コンピュータースキルなど。利用は無料。政府は食料(ランチ)を支援。それで子どもが集まる。学びに来る。
 
小学校に入る前の未就学児への手話教室(耳が聞こえない子ども達)。統合教育がゴールなので、プレスクール。メンタルチャレンジとして、家庭に隠れている障害児や虐待児の支援。相談センターや家庭支援。HIVの教育、性的虐待の予防と保護、基礎的な教育、など。知的障害児の支援も含む。以前は教会中心の奉仕活動であったが、社会福祉として地域問題として取組が始まる。家庭相談所も兼ねる。

 

福祉器具の提供も行っている。3輪車イスは、隣国コンゴ製。400ドル。ルワンダ制も同じようにあるらしい。手話の先生が欲しいと言っていた。ルワンダには手話の学校すらない。問題点として、職業訓練後の仕事が上げられた。日本でも世界でもどこでも同じだけど、就職先が難しい。立地が住宅街の中で道も悪いので、車いすでは来れないのも課題。通ってこれない。

まだ始まったばかりの取り組みだが、しっかりとした活動と目標があり感動した。ルワンダの未来は明るい。


ギコンゴロ虐殺追悼碑

ルワンダ観光といえば、ゴリラ、チンパンジーを森に入って見に行くのが有名だが、車いすはNG。もう一つ、虐殺追悼碑も、旅行者が訪れる場所。一番大きく、有名なギコンゴロへ。

基点となる南部の町ブタレ(フエ)のホテルで朝食。新鮮なフルーツで栄養補給。赤くて固いザクロみたいな果物は、maracuja と言うらしい。ぬるぬるトロピカルな味。真ん中のオレンジは、three tomaro と言うらしい。トマトの一種なのか酸味がある。皮も全て食べれる。この2つは初めての果物。世界には色んな食べ物がありますね。他は、モンキーバナナ(小さいので甘い)、パパイヤ、パイナップルです。

 

ホテルで自動車をチャーターしても良かったが、とても高い値段を言われたので、公共交通で移動。時間もあるので、ゆっくりと。町の北外れにあるバス乗場へ、歩いて移動。バス乗場には、自転車タクシーがたくさんいた。バイクでないのが田舎たる由縁。

乗合ミニバス(マタツ)は、私が一番。1時間ぐらいして乗客が埋まる。ギコンゴロまで約40分。1000ルワンダフラン(150円)。

ギコンゴロでは、ガソリンスタンドで降ろされる。外国人は私だけ。何も案内がないので、どっちに行けば虐殺追悼碑があるのかわからない。すると、一緒に助手席に座っていたルワンダ人が、案内するから、一緒に連れていくという。

西へと、坂を下って、丘を上がる。1キロ弱進んだところで、道を折れて未舗装のダートへ。到着かと思ったら、そこから先に2キロほど歩く。車いすを押してもらったが、一人では疲れるし、道に迷う。

合計3キロほどの道。うち2キロがダート。こんなに遠いとは思ってなかった。ただ45分間の山を眺めての歩行は楽しい。

案内してくれたウガンダ人の20歳の青年(下写真)は、両親を3才のとき虐殺で失っていた。追悼碑に到着。内部は写真撮影禁止。扉は閉まっているが、開けて中に入ると、警備員が来て休館日だと言う。1月1日。正月だった。祝日らしい。自家用車で来ていた金持ちそうなケニア人と一緒に交渉。お願いしても、特別に中に入れてくれるなどしれくれない。ルワンダ人はルールを守る。律儀である。

残念ながら、虐殺の行われた(多くが撲殺)場所には行ったが、遺体や遺品など展示物は見れなかった。翌日は開いているということだが、長距離を歩くことを考えればタクシーでくるしかない。25~30ドルと、そこまで高いわけでないが、1日つぶれてしまうので、見学は諦めた。かつてカンボジアで虐殺が行われた場所を訪問したので、まあいいやと。

来た道を歩いて戻るのはゾッとした。すると西欧人3人組が乗る自動車が来た。彼らも入れなくて残念がっていた。ケニア人の車に強引に乗せてもらおうとお願いしていたが、この西欧人の車の方がスペースがあるので、案内してくれたルワンダ人と一緒に乗せてもらう。彼らはオランダ人。半年、キガリで研究をする大学院生。母と妹がクリスマス休暇で遊びにきていた。

ルワンダ人は、ギコンゴロの町で下車。私はブタレのホテルまで送ってもらう。うまくヒッチハイクできて良かった。


ルワンダの欠点

人々も親切。いいところばかりだが、どこにでも欠点はある。飯が不味い。レストランにはメニューがない。どこも同じビュッフェ。一種類しかないのだ。選択の余地はない。

豆、米、じゃがいも、ホウレン草のくたくた煮、パスタが皿に盛り放題。肉片は追加料金。毎日同じものを食べるのは苦痛。でも彼らにはそれが日常。疑問すら感じない。違うものが食べれること、それは幸せなことなんだ。大切なのは腹が膨れること。味は二の次。

 

レストラン、食堂でご飯が食べれるのは、まだ豊かなこと。もう一つの選択はカフェ。コーヒー、紅茶、牛乳がある。ビスケット、パン、サモサが食事のメニュー。朝はカフェで、食べていましたが、これまたどのカフェも同じメニュー。


ルワンダには、秩序があった。統制されている。ここが、アフリカかと疑ってしまう。国が信頼されると、外国からの投資も進む。まさにアフリカ希望の星。負の歴史から立ち直った貴重な成功国であるが、惜しむらくは小国であること。

ホテルのテレビ。国営放送で、NHK「プロフェッショナル」がレギュラー放送されていた。日本を尊敬していて、モデルにしていた。親日なことは、とても嬉しい。いい国でした。


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