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ヨォロッパ一周大冒険(1)

1994/07 - 09

モスクワでのトランジット / ロシア


アエロフロートでの旅

ヨォロッパを車イスで一周する大冒険旅行に出発だ。飛行機の中でも緊張感が高まる。航空券は一番安いロシアのアエロフロートを選んだ。なんと6万5000円。

搭乗したらかなりビビってしまった。写真の表情も緊張している。飛行機がなかなか浮上しない。着陸の際も、ずっと低空飛行してランディングする。着陸後のブレーキで座席の背もたれがバンバンバンと倒れてたりもする。うーんボロい。

しかし、悪しき評判の高いアエロフロートであるが、古いことを我慢すれば快適であった。まず座席の前後の間隔が広い。大きく作ってある。余裕があって楽である。サービスも笑顔がないとか言われていたが、時代も変わったのか意識するほどのものでない。むしろ、米国系の飛行機会社なんて事務的でそっけないと思う。予想外の良い飛行だったのが、もちろん予想外の悪いこともあった。


静かな飛行場で一時間ほったらかし

私(車イスの人)が飛行機に乗るときは通常、一番最初に搭乗し、一番最後に降ろされる。飛行機は無事、モスクワに着き、いつものごとく一番最後に飛行機を降りたが、トランジット(乗換)カウンターにはもう誰もいなくなっていた。灯りも消えてしまっている。皆、既に手続きを済ませて行ってしまったのだろうか?私も手続きをして、予約しているトランジットホテルにいかなければならない。どうしよう?

私をエスコートしてくれた職員は、ちょっと待てというようなロシア語を言い残し消えていった。周りには人はいない。シーンとしている。ゲートもしまり動くに動けない。とりあえず待つことにする。

するとしばらくしたら、私と同じ大学生の旅行者2人が、同じように困っていた。トイレに行っていている間に、トランジットカウンターが閉まってしまったとのこと。相談して、みんなで職員が帰ってくるのを待とうということになった。旅は道連れ。彼らは高校時代に海外留学経験があり(今回は留学先に里帰り)、根性が座ってた。最悪、誰も戻ってこなかったら、3人で空港で寝ようかとも相談した。翌朝の飛行機に乗ればいいのだからと、笑って待っていた。

1時間後。 エスコートしてくれた職員が戻ってきた。と同時に、周囲が騒がしくなってきた。よくみると同じ飛行機に乗っていた人がぞろぞろ出てきた。結論はこうだ。みんなトランジットホテルに行くのに別のところで待っていたのであった。トランジットホテルに行くバスは1台しかなく順番待ちで待たされる。私のトランジット手続きは、そのバスが出るときにしようというもの。職員は休憩していたのだ。

結局は何の問題もなくことが進んで万事OKなんだが、私に対する説明が一切ないのが問題。言葉が通じないから説明しても無駄なのだろうか?右も左も分からないモスクワ空港のゲートで1時間、延々と待たされたら、不安になるよ。

さて、トランジットホテルへのバスに車イスで乗れるか不安であったが、バスも、ホテルの中も、ロシアの力持ち達が担いでくれてすごく親切にしてくれた。でも、寡黙である。黙々と何も言わず仕事を遂行して、担いでくれた。ありがとうです。

その後、3回アエロフロートを利用することになるが、いつもモスクワ空港で、置いてかれたと思う日本人乗客が係員に詰め寄る光景を見た。まあ気長に待ってたらそのうちなんとかしてくれます。とはいえ、この翌年のアエロフロート利用では、私は、車イスが紛失するという大トラブルに巻き込まれるのだった。。。


車イス紛失の危機 

1995年9月 チュニジア・チュニス空港から、ロシア・モスクワ空港へのアエロフロート便。チュニジアから日本へ帰るときの話。現地で帰りの飛行機の日程を変更した。

チュニジア旅行は、韓国に次いで過酷な旅になっていたので、帰国の日がとても待ち遠しかった。帰国の日が来た朝。気がはやり、チュニス空港には3時間半前に着いていた。まだモスクワ行きのカウンターが開いてなかった。早すぎたのだ。小さな空港で時間を潰して、一時間後、カウンターが開いたので、イの一番でカウンターに向かった。 

ところが、カウンターのお姉ちゃんは、私のチケットを切ってくれない。なぜかと問い詰めると、私の「チュニス→モスクワ」のチケットのステータスの欄には、OKでなく、WT(WAITING)マークが書いてあると説明してくれた。座席が確保されてなかったのだ。チュニスのアエロフロートオフィスでは席が空いていると言ってくれたのに。

私はチケットをきっちり確認していなかった。WTでは、席が空くのを待たなければならない。キャンセル待ちだ。 列から離れて、ずーと、カウンターの隣で待っていた。全員のチェックインが終わって席が余った瞬間に、いち早く対応するためだ。

ところが、次から次へと乗客が来る。列は止まらない。100人以上は来ている。本当に乗れるのか不安になった。席は余るのか? WTマークじゃ乗れる保証がないのではないか? もし、乗れなかったら、この苦しかったチュニジアに、もう一週間いなければいけないのか? それだけは勘弁して欲しい。早くチュニジアを出たい! 

出発時刻一時間前になっても、多くの乗客が並んでいた。何度も、「私は乗れるのか?」とカウンターに尋ねるが、わからないとの返事。ようやく出発時刻の40分前になって列が空いた。すぐさまカウンターに詰め寄り、なんとか、搭乗券を貰えた。 「これで日本に帰れる」と思ったのは甘かった。 

飛行場によっては、車イスの場合、通常の乗客と違うところで待たされる。チュニス空港は、カウンターは一階だが、搭乗を待つのは二階であった。しかし、エレベーターがないので、空港職員などが通る一階の通用口の前で待つように言われた。

しばらく待つが、搭乗時刻になっても、誰も私を案内しない。職員のところに詰めより、搭乗券を見せて「時間なんだけどどうなってるの?」と聞くが、職員は、"un moment "(ちょっと待て)としか言わない。 

出発予定時刻になったので、またも詰めよるが、それでも職員は"un moment "としか言わない。 ほかの乗客はどうなってるのだ?  何かトラブルがあったのか? もしかしたら既に搭乗しているのか? 私は忘れられたのか? 車イスのため別の場所で待たされており、一人なので不安だ。もう、腹をくくった。職員の言う通り待つしかない。 

ようやく「行くぞ」と職員に言われたのは、出発予定時刻を40分過ぎていた。出国検査では、カバンを開けられて止められた。検査官はチップが欲しいらしい。腹が立った。何度も何度も待たされ、怒りが頂点に達していた。しつこいので、小銭を放り投げて叩きつけてやった。 こんなところで時間を取らせるな! 早く飛行機に乗せろ!

滑走路に出た。アエロフロートの大きな機体があった。ホッとした。まだ、出発していない。後ろを見ると、先程チェックインしていた人達がバスに乗り込もうとしていた。何かトラブルがあって出発が遅れているのだろう。 ともあれ、これで日本に帰れる。

チュニスの空港職員は、私を貨物運搬車に乗せて、飛行機のドアまでリフトで上げてくれた。座れと指示された席は、とても大きかった。本当にいいの?と思った。なんと、ビジネスクラスだった。満席だったから、ビジネスクラスに回してくれたのか? 車イスだから便宜を図ったのか? 真意はわからないが、嬉しい限りだ。待った苦労が報われた気がした。

フライトアテンダントは、ワインはいかが? スナックはいかが? 食事は? と気を遣ってくれる。もう、ビジネスクラスの席に踏ん反り返ってくつろいだ。そして、ゆっくりと出発を待つ。待つ。 待つ。待つ。ところが、飛行機は出発しない。
乗客はみんないきりたっていた。二時間後、ようやく飛行機は出発した。

なぜ、出発が遅くなったのか? 遅れている4人の乗客を、アエロフロート航空は待っていたからだった。週に1便しか飛んでいない路線なので待ったのだろうか? それとも政治家とか、権力者なのか? 他に200名以上の乗客がいるのに、温情があるともいえる。 しかし、私は辛かった。チケットカウンター、搭乗、離陸と三度も待たされ、精神的にも肉体的にもギリギリな状態だった。

飛行機が離陸し、ようやく安心して爆睡するが、モスクワでは更なるトラブルが待っていた。

モスクワに着いたのは、夜の10時30分だった。3時間遅れの到着。 車イスの乗客は万国共通で、飛行機から降りるとき、全ての乗客が降りた後、最後に案内される。乗客がすべて降りて、席で案内を待っていると、白衣を着た人達が現われた。なんか変だなと思っていたら、悪い予感は的中し、救急車に乗せられた。私は病人じゃなくて、ただ車イスに乗ってるだけなんだけど。

英語で事情を説明しても意味はなかった。それでも、いずれ案内してくれるだろうとノーテンキに構えていた。しかし、希望とは裏腹に、空港内の医務室に連れていかれた。 そこで、待たされることになる。 

機内の狭い座席間を通る小さなキャスターが付いただけの自分ではこぐことのできない細長いイスに、縛られて座っていた。私は改めて事情を説明した。病人じゃなくてハンディキャップなのだ。トランジットでモスクワに一泊して明日、日本に帰るのだ。そして、とにかく私の車イスを持ってきてくれ。それと、ホテルを予約しているから、そのホテルのカウンターに連れていってくれと。

案内してくれた人はどこかに問い合わせに行った。 私はずっと、イスに縛りつけられたまま、殺伐とした医務室で待った。 ちょうどテレビがついていた。ロシアのコメディ番組が流れていて、観客の笑い声がブラウン管から流れる。しかし、私にはその笑い声が空しく聞こえるだけだった。ふと壁の時計を見ると、深夜0時を廻っていた。

今回は、乗り換えの時間が丸1日あるので、宿泊するとモスクワ観光のビザが発給される一泊3万円のノボテルホテルを予約していた。航空券が、6万9000円と激安だったのでホテル代を奮発したのだ。

日程を変更したので、ホテルの宿泊日も変えなければならなかった。チュニスのアエロフロート航空の担当者は「変更しなくても大丈夫。問題ない。モスクワの空港にノボテルホテルのカウンターがあるから、そこで予約券を提示すればよい。そうしたら泊まれるよ」と教えてくれていた。

ところが、である。3時間遅れの深夜到着。しかも、私は医務室に案内されている。さらに、私の車イスが失くなっていて動くことができない。 私を医務室に案内した空港職員に「車イスを見つけてくれ!」と言うのと同時に、「私はホテルを予約している。そのことをホテルのカウンターに伝えてくれ!」と必死に訴えた。だって、3万円も払ったのだ。それにモスクワ観光も楽しみにしていた。 

医務室で、もう2時間以上も待っていた。3万円のホテルは諦めて、とにかく自分の車イスだけは見つかってくれと願った。車イスがなくなった場合の、最悪の事態も想定していた。 

ようやく、空港職員のおっちゃんが、しゃりしゃりと音をさせて戻ってきた。私の車イスを押していた。ようやく見つかったのだ。壁の時計は、午前1時15分を指していた。テレビの番組は、シリアスな恋愛映画に変わっていた。

さて、次にすることは、寝ることである。翌日(もう当日か)の夜の便まで時間は、たっぷりある。まずは、3万円のホテルのカウンターに空港職員と向かうが、深夜なので、もちろん閉まっていた。空港内は静まりかえっている。幾人かホテルに泊まらず空港内の廊下やベンチで寝ているだけだ。 

空港職員が私に尋ねる。「どこに泊まるんだ?」 私は即座に返答した。「あなた方が用意しろ。あなた方のミスで私は予約していた3万円のホテルに泊まれなかったのだから」 

空港職員は、飛行場横のトランジットホテルに案内してくれた。1年前、泊まったことのある3000円のホテルだ。 ホテルに到着すると、フロントの人は私に言った。「宿泊費、40ドルです」

私は、即座に返答した。「私に払う義務はない。あなた方のミスでこんな夜遅くにここに泊まらないといけないのだから」 ようやく寝床につけた。

チュニスでは、飛行機に乗れるか乗れないかヤキモキした。出発時間が来ても案内されず、3時間も出発を待った。モスクワに到着したら、医務室で2時間半も待たされ、車イスが紛失寸前となった。3万円のホテルにも泊まれなかった。長い一日が終わった。 

・・・・・・ 

後日。3万円のホテルは、帰国後、旅行代理店に事情説明すると、一カ月後、半額の1万5000円が返金された。

チュニス空港では飛行機の案内が遅れたが、それから3年後の秋、ミラノからローマへの飛行機で空港職員が私を案内し忘れるという事故があった。路線が多いので一時間後の次の便に乗れたので大きなトラブルにはならなかったが。航空会社が車イスの乗客を案内し忘れることはあるのだ。 

車イス紛失については、この4年後の秋、キューバのハバナから乗った飛行機が、メキシコのカンクンに到着した時にも紛失しそうになった。いくらターンテーブルの前で待っていても、私の車イスが出てこなかったのでおかしいと思っていると、空港職員の勘違いで、同じ飛行機の足を骨折していたブラジル人に私の車イスを渡していた。彼が私の車イスで空港内を滑走しているところを、偶然見つけられたからからよかったものの、一歩間違えれば紛失するところだった。やはり身近に車イスは置いておきたい。


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