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イタリア 
プチ留学 (4)

1995/07 - 09

初めてのカルチャーショック / チュニジア


タクシー運転手の洗礼

シチリア島から、船でアフリカのチュニジアに上陸。チュニス港から、ダウンタウンに向かうため、タクシーに乗った。目的地に着いたとき、メーターが、3ディナール(=約300円)弱を示していた。私は、入国直後ということもあり、小銭がなく、5ディナール紙幣しかなく、それを支払うと運転手はお釣りを返さなく、すぐタクシーに乗って車を発進しようとした。私は怒った。 「お釣りの2ディナールを返せ!」と。

彼は「メーターは3ディナールだが、5ディナールは欲しいという」。喧嘩になった。なぜ、メーター以上の料金を払わないといけないのだ。「あなたは嘘つきだ」とも言った。神さま(アッラー)という言葉を出して、「アッラーは真実をしっているぞ」とも言った。

アッラーを口にしたのが効いたのか、運転手は、「港からの料金5ディナールをそこまで払いたくないなら、金は要らない」と逆切れでし帰る構え。ここで折れた。お金を払わないで乗り逃げするのは、なんか後味が悪い。しかし、選択肢は、払わないか、多く払うかどちらかで、プライドの問題である。私は、彼に5ディナール払った。彼は、まんまと私との交渉に勝ったのだ。

これが、これからのチュニジア旅行の値段交渉敗北の歴史(ぼったくり)の始まりだった。もし、彼が金はもう要らないというのに素直に従っていれば旅の交渉も変わっていただろう。交渉に甘えは禁物だが、ついつい同情が入ってしまう。やはり、そこは私も日本人なのだ。


ビール

入国した初日の夜、チュニスのメインストリートを歩いていたら、若い二人組みの男性に、「車イス一人で旅している君に感動した」と話しかけられた。

話しかけられることも嬉しかったが、何より私のことをほめてくれたのが嬉しかった。「君の旅の話を聞きたい」と一緒に飲食店に入った。すると、彼らはビールをおごってくれという。ビールの値段が結構高い(3ディナール=約300円)と思い、お金を出すのをためらっていると、彼らはイスラムだから酒は高いのだと説明した。まだ、入国したてで物価も何も知らなかったが、おだてられ機嫌も良かったのでご馳走することにした。

二人は自己紹介をした。二人ともホテルで働いているのだという。だから英語が話せるのだという。しばし話が盛り上がり、ビアグラスが空になった。二人は、もう一杯おごってくれという。値段が高いと思ったので、私は二杯目をご馳走するのをためらった。すると、彼らはビールの値段をディスカウントし始めた。一杯目3ディナール=約300円だったのが、二杯目は2ディナール=200円になっていた。

なんてこったい。ビールの値段が下がるのだ。おかしいと思い理由を聞くと、夜9時を過ぎたら値段が下がるのだと説明する。ようやく、だまされているのだとわかった。飲食店はアラビア語表記なので、値段も何も分らないが、ビールがこんなに高いはずはない。彼らは、お釣りをかすめていたのだ。もう酔いが醒めていた。ディスコに行こうという誘いも断り、ただちに店を出て、別れた。

さて、少々のお金をかすみとられ気分を害したが、ちょっとの損害で済んだので良しとしようと思い、何時なのか、時間を見ようと車イスのポケットに入れていたシステム手帳の時計を見ようとした。するとシステム手帳がないではないか。彼らは私から小銭しか稼げなかったので、手帳ともどもポケットの中の物を盗んでいったのだった。財布は注意していて、座席の下のポケットに入れているので取られなかったのが幸いだった。

これ以外でもチュニジアでは盗難の危機があった。他の国では、ほとんど盗難の心配なんてないのに、なぜチュニジアだけ多いのか? 論理は簡単だ。

盗みやすい車イスから盗むのは利に叶っているという訳だ。

今までの旅行で、盗難に会ったことは一度もなかった。自分でも、絶対に盗難には会わないぞと過信をしていた。車イスの一人旅をしているとき、車イスだから多少は優しくしてくれるだろう、泥棒も狙わないだろうと、自分のハンディに甘えた部分があるのを感じた。盗難に象徴されるように、チュニジアではイスラムの影響もあるのか、障害者差別もなければ、逆の保護もなかった。車イスを理由に行動が制限されることはなかった。むしろ金があるのかないのか、そっちの方が重要だったのかもしれない。

車イスの偏見がない。優しさもなければ、保護もない。ある意味ものすごく平等な社会だった。イスラムというのは、米国を中心とするグローバル化と対極にあるのではと思った。この後、大学の卒業論文で、「ムスリム(イスラム教徒)の西欧化・国際化」を書くことに決めた。それだけ、チュニジアは私の心に突き刺さった旅であったのだ。


どこまでも続く一本道

アフリカ大陸に来たからには、砂漠に行きたかった。サハラ砂漠の入口にあるオアシスの町ネフタに乗合タクシーを乗り継いで向かった。乗合タクシー乗り場では、運転手が行き先を叫んでいるので、どれがどのタクシーかアラビア語が読めなくても( ←当たり前か)、簡単に乗れる。

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ネフタへの道は、砂漠の一本道。周り一面、土砂漠が続く。砂漠は三種類ある。土砂漠、岩砂漠、砂砂漠。生物が育つのに困難な荒涼とした大地だ。乗合タクシーを3回乗り換え、11時間かけて、ようやく 砂漠のオアシスに着いた。ついに、サハラ砂漠の入り口に到着。

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砂漠のオアシス

2時間ずっと何もないところを走ってきて、突如、緑のなつめやしの木々が見えてくる。まさにオアシスとはこのこと。風も、緑を通るせいか、水があるせいか、どことなく爽やかだ。ただし、地面は乾燥して固くなっているとはいえ、砂は砂なので、車イスで進むにはかなり困難だった。バイクに引っ張っていてもらってオアシスを廻ったりもした。

バイクでひっぱていってもらった兄ちゃんに、「ラクダとも写真をとれ!」といわれたので、撮影すると、ちゃっかりお金を要求された。これはエジプトやモロッコなど北アフリカなどでは定番なようですね。ラクダに乗せて、一人では降りれないので、お金を払うまで降ろさないとかするのです。

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私は記念写真をとっただけなのにお金を要求されましたが、バイクに引っ張ってもらって遊んで機嫌が良かったので 1ディナール(=約100円)払いました。そして、バイクで引っ張ってもらった兄ちゃんにもチップを渡した。何でもお金お金。それが現実。


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