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共産主義の名残

ハンガリー、ルーマニア、トルコ

1996/08 - 1996/09

  
→ AIR   → SHIP   → TRAIN   → AUTO   → RENTAL CAR


ブダペスト

ウィーンから船でブダペスト入り。ドナウ河からの眺めは美しいが、あいにくの曇り空。プダペストでは旅行で最も怖れることである、車イスの故障が現実となった。

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双子都市ブダペストのブダ側にある王宮を観光する。ところが雨が降り出してきた。ぶらぶら歩いてゲーレット温泉に行くつもりだったが、仕方がない。雨なので、タクシーを拾うことにする。王宮からゲーレット温泉までは、そう遠くない。私がある程度、目安の値段を告げてなんとか交渉が成立した。タクシーに乗りこんで、王宮の坂をゆっくり下り始めたら、なんとメーターが鬼のように回転しだした

ブダペストでは友人の母の家に滞在しており、その人から 「○○のタクシーに乗るな。乗っていいのは、車体にチェエッカーマークか、電話番号の書いてあるものだけだ。他はぼってくる」と教えられていたが、急であったので乗ってはいけないタクシーに乗ってしまった。

私は、もちろん、くるくる回るそのメーターを止めろ、値段交渉しただろと運転手に問い詰めると、運転手は怒りだし,「俺は、この値段でしかいかない」と凄みだした。約2倍の値段である。タクシーの相場は友人の母の家からダウンタウンまで乗ったりしていて知っていたから、俺も引き下がらない。するとどうだ。坂の中腹で運転手はタクシーを停めた。にわや、トランクから車イスを出してきて「降りろ」と言う。

雨の中、坂の中腹で下ろされた。

道の途中だし、もう一度タクシーを拾う気力もない。これから温泉に行くんだから、濡れてもいいかと、びちょびちょになりながら、ゆっくりゆっくり車イスを進めて1時間後に温泉到着。温泉が疲れを癒してくれたのはいうまでもない。

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また、温泉に入って初めて気がついた。 車イスが壊れているのだ。乱暴に車イスを扱われ、ネジが一つとれていた。小さく折りたたむことができなくなってしまった。

なんとか滞在している友人の母の家に戻り相談したら、隣の家の人が似たネジをもっていたので、それで代用することに。現地の人の家に滞在していたのが幸いした。トラブルは解決するようにできている。その後の旅行からは、パンク修理キットと同様に、ネジも持参しています。


ルーマニア

ハンガリーから列車で国境に近いオラデアに入る。途中、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演の映画「ひまわり」に出てくるような、ひまわり畑を眺めての4時間程の旅。そして、オラデアの街でレンタカーする予定だった。ところが、レンタカーが町にない。オフィスはあるが車が1台も置いていない。。。

レンタカー探しを手伝ってくれた将来は観光ガイドを目指す親切な現地人が「車をチャーターしたら」と、タクシー運転手を紹介してくれた。約6000円で2日間チャーターすることになった。これは激安であった、なぜなら車の走る総距離は500kmぐらいあるのだ。また、運転手のダッチャは、力持ちで親切で運転も非常にうまく楽しく旅行できた。

目的地はルーマニアの秘境、サプンツァ村。ウクライナとの国境地域の谷間に少数民族が住んでいる。家々には日本や中国みたいに門と塀があり木造である。顔もどことなく日本人に似ている。彼らの言語もウラル・アルタイ語族でアジア系の言語だろうと推測する(ハンガリーがそう)。こんな僻地で、日本に通ずる文化があるのは面白い。

マラムレシュ地方のサプンツァ村は、かわいい民族衣装も魅力的。ヨォロッパの秘境「ルーマニア」には、ドラキュラ伝説や魔女狩りなど謎めいたものが多く残されている。いまだ近代化されず残っている田舎では、中世のヨォロッパはこんな生活なのかとも想像できる。

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サプンツァ村の観光名所に、故人の職業や人柄を描いた墓地がある(それしかないが)。観光した帰りに歩いていると、孫を連れたおばあちゃんが私の方に歩みより、手を握った。何事かと思うと、手には小銭が。 なんとお恵みだったのだ。

もちろん、お恵みを受けたのは初めての経験。普通なら「同情しよって馬鹿にしてんのか!」と思うところが、素直にうれしかった。確かに首都のブカレストなどでは障害者の乞食が多く見られた。足のない人が何人も街中で乞食をしている。両足のない人が両手で這って歩いている。呆然と車イスに乗ったままの老人。障害者は乞食ぐらいしか仕事がないのか。

中国でも、マフィアが、わざと足を切断して乞食をさしたりとかひどい話は聞く。途上国や戦争のあった国などでは障害者=物乞いが非常に多い。私は、乞食と間違われたわけじゃなく、単に信仰心の強いおばあちゃんのお恵みなんだろう。小銭をくれたお婆ちゃんのしわくちゃな手のぬくもりは忘れられない。

オラデアの街でレンタカーが出来なかったので、予定を変更しブカレストに飛ぶ。サプンツァ村を観光後、バイア・マーレに着き、街のTAROM(ルーマニア航空)オフィスで、ブカレスト行きのチケットを購入する。しかし、なんだこの航空券は、ざら紙にペンで書いただけ。本当に、こんなので乗れるのか? 珍しいので記念にとっておきました。

翌朝、起きるとすごい雨が降っていた。予定では、チケットを買ったTAROMのオフィスからバスで空港に行くつもりだった。ホテルからTAROMのオフィスまでは少し距離があるので、仕方なくタクシーで飛行場に向かう。

すごい豪雨で、飛ぶのか心配だった。飛行場に着いても誰もいなかった。しばらくすると、人も集まってきて、どうやら飛ぶみたいで安心したが、搭乗手続きも、コンピューターでなく、吊ってある飛行機の座席表にカードを差し込んで席を決めていく。搭乗手続きも無論、簡単で歩いて飛行機まで行く。40人乗りの小さな飛行機だったので、例のごとく貨物の乗り場である後ろから担いでもらって、乗り込み、最後尾の座席に座る。

ちょうど一年前、チュニジアで同様の飛行機に乗り、思いっきり揺れて死に直面したので小さい飛行機に乗るのは、恐怖性になっていた。飛行中は、ひたすらビビって震えてた。恐いと感じることはなかったが、やっぱり揺れた。あー、命が縮むので二度と乗りたくない。私の唯一の恐いもの、それは「小さな飛行機」

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上の写真が有名な ”国民の館 Casa Poporului” 世界で最も大きい建物の一つといわれる。1000以上も部屋がある。中国北京の紫禁城みたいだが、完成するまでもなくチャウシェスクは失脚した。

当時ルーマニアでは、夜には電気が停電となっていた。国民には倹約させ、チャウシェスクや官僚達は贅沢な生活を送る。「昔は、ろうそくで勉強していました」そんな話を現地で聞いた。このばかげた建物とその前のシャンゼリゼ通りを模した官僚達の住む高級アパートなどの建築費やチャウシェスクや高級官僚の贅沢のために、ルーマニア国民が犠牲になってたなんてぞっとする。文句を言おうものなら、有名な秘密警察がとりしまっていた。みんな密告されるかとビクビク生きていた。とも語ってくれた。


トルコ

車イスになったときの入院中、暇つぶしにマンガをたくさん読んだ。その中に「クライング・フリーマン」というのがあった。暗殺者が活躍する劇画だ。その主人公が、カッパドキアに行き自分のルーツを探る話があった。そこに描かれていた風景は、空想の世界だと思っていたが、本当に存在することを知り、驚愕する。以来、いつかこの目で見たいと憧れの地となる。

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トプカプ宮殿では、かつて世界を支配したオスマン帝国。その繁栄ぶりが、展示されている数々の秘法に見ることができる。陶磁器のコーナーでは、古伊万里や中国の景徳鎮などが展示されている。シルクロードを通って、遠くオスマン帝国のスルタン(王)に贈呈されたものだ。ヴァチカンのサンピエトロ寺院内の博物館も世界各地の金銀財宝があって興味深いが、同じように世界の権力者に富と宝物が集まるなと思った。

ドイツのマイセンが景徳鎮や伊万里の影響を受けているのは有名なことだが、ここオスマン帝国を通じて、シルクロードを通って物や文化が伝わったと思うと歴史のロマンに陶酔できる。残念ながら「ハレム」は長蛇の列で見ることができなかったが、トプカプ宮殿を十分に満喫。宮殿内は多少の段差はあるが、一人でも所々で周りの観光客に助けてもらいながら閲覧できる。

イスタンブールは海峡の街なので坂が多い。車イスには、ちょっと大変な街。オールドバザールの中もすごい坂ですよ。ブルーモスク(下写真)とトプカプ宮殿の周囲は坂はない。

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トルコには当初イスタンブールに3日だけ滞在する予定だったが、ルーマニアでレンタカーできなかったので1週間ほど余分に時間ができた。そして、イスタンブールをゆっくり観光しようと思ったが、坂ばかりなので大変だろうと思った。このままイスタンブールで、観光はできぬと思って考えを巡らしながらホテルの下のレストランで朝食をとってっていると、日本人3人組がお茶をしていた。思わず声をかけて、一緒にレンタカーしてカッパドキアに行かないかと話を持ちかけた。彼らもこれから2週間トルコ旅行する予定であったし、車があればカッパドキアも楽しいし、合意。

ホテルの人にレンタカー手配してもらい(オートマを探すのに時間がかかった)、夕刻に出発。これで、行くのは無理だと思っていた憧れのカッパドキアに行けることになった。人生何があるかわからない。一緒にレンタカーしたナイスな3人組と食堂で。写真左の彼は、SMAPの中居くんにそっくりで、女性を口説くのが得意で彼の武勇伝がとても面白かった。

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レンタカーでイスタンブールからカッパドキアに行くといっても遠い。1000kmはある。高速道路も途中までしかない。道もトルコ全土の地図だけしか持っておらず、迷いながらも運転を交代しながら夜通し走って、次の日の朝、カッパドキアにつく。

朝焼けに光るカッパドキアの奇岩群。こんな岩山にと穴を掘って作った住居。隠された教会。隠れるように生活していた様子がわかる。そもそも中東地域で迫害されたキリスト教徒が隠れ住んだ所なのだ。

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日本でいうなら、落ち武者の村、密教の村みたいな感じだ。崖に住居があって伝書バトで連絡する。住居の入口はどこかわからない。他には、竪穴が100mにも及ぶ13階構造の大地下都市もある。人間の生への執念と信仰心がうかがえしれる。この辺りは乾燥地帯で作物も育ちにくく、冬は雪が積もり銀世界になるのに人は、どこでも生きていくものだと関心した。また、ある教会には、隠れ地下通路があり、外に逃げれるようになっている。まるで忍者屋敷みたい。

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しかしながら、現在、カッパドキアの洞窟住居に人は住んでいない。なぜかというと、トルコ共和国建国の際にギリシアとの交換条件でトルコに住むギリシア人(キリスト教徒)と、ギリシアに住むムスリムとを交換した。カッパドキアはある説では、宇宙人が住んでいたとも言われるほど、今でも謎の多い場所です。

イスタンブールに戻るとき、首都アンカラに立寄り。1923年トルコ共和国建国の際、西欧諸国に少しでも遠くということでイスタンブールでなく、内陸の人口わずか6万人のアンカラにわざと首都を置いたのが街の始まり。100年も経たないのに、いまや人口360万人を越える世界有数の大都市に変化している。アンカラが田舎だったというのは行けば如実にわかる。斜面を生め尽くす家々、無秩序に開発して広がった街。道路も混みます。日本の東京の郊外でみられるシュプロール現象がアンカラでも見れます。

トルコはイスラムというより建国の父アタチュルク主義の国でありますが、そのアタチュルクの思想、業績がアンカラでは非常に色濃く見られます。逆に歴史がないので観光には乏しいです。おすすめ観光ポイントは、アンカラ城で夕日を眺めるのが良いでしょう。


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