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アメリカ ホームステイ

1993/08


海外旅行にハマるきっかけとなった初の海外経験。 夢のような一ヶ月間だった。


車イスであることを忘れる

アメリカでホームステイしていて、なぜか気が楽だった。街を歩いていてもそうだ。確かに交通機関も街の建物、歩道とかがバリアフリーなのもあるんだが、どうも変な感覚だ。何が違うのか、周りの目がないのだ。日本だと、街中を歩いていると、好奇な目で見られたり、憐れみを投げかえられたりする。見てはいけないものを見たという人も大げさながらいないことはない。

アメリカでは、そんな好奇な目はなかった。いろんな人種のいろんな人が住んでいるせいもあって多様性を認める文化的土壌がある。

障害も一つの個性なんだと。本当にそう感じられた。

語学学校に通学するために乗っていたバスで、リフトで乗り降りするためにバスが数分停車しても、時間をとるがそれをとがめる人はいなかった。私は気を使って、運転手に「どうもありがとう」って丁寧にいうと運転手は「Take it easy」気にすんな。遠慮することはないと、毎回言っていた。日本だと、あいつのために時間とらせやがって不便だなと、無言の圧力があったりする。

カリフォルニア大学バークレー校をクラスメイトと見学に行ったとき、キャンパスでホットパンツ(短パン)を履いている義足の女性を見た。日本では、人前では恥ずかしいから義足を隠すのに、この女性は堂々としていた。

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ホストファミリー

私がホームステイしたのは、サンフランシスコの南にある郊外サンマテオ市の6人家族の家。お母さんが、少し足に障害があって、自動車も障害者用スペースに停めれるステッカーも交付されている。家は、車イスの設備があるとか特別なものもない普通の家だが平屋の家なので何の問題もなかった。

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ホストファミリーの家族構成が興味深く、子どもは、全部で4人。上の兄は父親が白人系、2番目の兄は黒人系、3番目4番目は、今の夫の子どもと、父親が違う兄弟が混ぜこぜで住んでいる。

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一番上の兄のマイケル
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2番目の兄ネイツ
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今の父の子ビリー
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末っ子娘シェリーナ

語学学校

英語を学んだのは "Language Pacifica” スタンフォード大学のある街パロアルトにある語学学校。特別な施設はないが街の建物自体がすべてバリアフリーな構造なので、何の問題もなく授業が受けられた。

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通学もホストファミリーにバス停まで車で送ってもらって、バスに40分ほど乗って通学した。カリフォルニアの乾燥気候なので雨にも一度もあわなかったし、ほとんどすべての路線のバスにはリフトがついていて、一人で容易に乗れた。

学校内には、ロシアのサンクトペテルブルクで牧師をしている車イスの人もいた。彼は新婚さんで、かわいい赤ちゃんもいた。

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また、同じクラスメイトに、ボスニア・ヘルツェゴビナから亡命してきた女の子2人もいた。ブラジル、メキシコ、ベネズエラ、スペイン、ベラルーシ、韓国など世界中から生徒が学びにきていて驚いた。その中でも、ホの字になってしまったのが、イタリア人のパオラだ。


憧れの人「パオラ」

「その国の印象は、最初に会ったその国の人の印象で決まる」 by きーじー

私が、以後イタリアにはまるのも、最初に会ったイタリア人がとても素敵な人だったからだ。英語の授業中、先生が生徒に意見を求めたり、フリーディスカッション(自由討論)をしたりするとき、日本人はどうしても引っ込み思案になって口を開けないものだ。そんな雰囲気の中、いつも口火を切ってくれたのはパオラだった。

ある授業の最後に時間が余ったときもそうだった。

「時間が余ったので、少し会話をしましょう。あなたが病気で入院しているとします。入院生活は退屈ですよね。そんなとき、隣のベッドにどんな人がいれば、入院生活は楽しくなりますか?」

先生にそう言われ、日本人生徒はうーんと考える。そんな空気を読んでかパオラが口を開く。

「私は、ケビン・コスナーがいればいいと思うわ。彼は格好いいしね。でもね、アインシュタインの方がもっと楽しいわ。彼は私たちの知らないことをいっぱい知っているもの」

なんて格好いいんだ。単純極まりない私は、彼女に惚れてしまった。というより憧れを抱いた。そして一年後、彼女に会いにイタリアに行ったりすることになる。

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ロスアンゼルス一人旅

3週間のホームステイの後、一人でロスアンゼルスを旅行した。ロス暴動があったばかり、しかも車イス一人なので、ホストファミリーは「本気か」と何度も確かめていた。しかし、私の決意は固かった。ホームステイの成果を一人旅によって試してみたかった。

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サンタモニカ、ベニスビーチを訪れ、UCLAを探検して、ビバリーヒルズを通って、ハリウッド、ユニバーサルスタジオを訪れて、最後にダウンタウン中心部と廻った。バリアフリーの完璧な国だけあって、何の不自由もなく一人旅もできた。翌日の帰国を控え、最後は空港近くのホテルに泊まることにした。ダウンタウンの中心部から空港へ行くバスも、車イスが乗れるリフト付きであること、一時間に一本運行していることを確認していた。私が乗る予定を立てていたのは、夕方のバスだった。そして修羅場が訪れた。

バス停には早めに行って待っていた。もし乗り過ごせば、日も暮れてしまい、治安が悪くなって怖い。何せ、初の海外だ。絶対に予定しているこのバスに乗らないとヤバイ。夜のバスが、昼のバスと違って客層が悪くなるのは、ホームステイの三週間で経験済みだった。

たくさんのバスが来るので、注意深く路線番号を見なければならなかった。いったいいつ来るのだろうかと不安になっていると、実は自分の乗るバスが既に到着していることに気づく。バス停には、3台縦列に並んでバスが停車していた。その3台目、一番後ろのバスが、空港行きのバスだった。一台のバスは約20メートルの長さがあって大きい。だから、3台目のバスの乗車口までは、40メートルの距離があった。

私は、慌てて「待って」と英語で大声を出しながら車イスをこいだ。だが、一歩違いでバスは出発した。バスの車体の横をドンドンと叩いて止めようとするが、運転手は気づいてくれない。

ここで、私の頭は急速に回転し始めた。バスに乗り遅れて、日が落ちて暗くなったダウンタウンにたたずむ異邦人。いきなり銃を突きつけられ脅されて襲われる。日本に帰れるのだろうか? 妄想は悪い方向へと進む。あのバスに乗らなくては、我が身が危険だ。とっさに行動していた。バスを追いかけた。交差点の赤信号三つを無視して、重たいリュックを二つ膝の上に乗せながら車イスをこぐ。必死の形相で周りの人は怖かっただろう。400メートルぐらいだったろうか、夕方の渋滞にバスは巻き込まれており、次のバス停でなんとか追いつき、乗ることが出来た。

汗ビッショリだった。あんなに車イスを早くこいだことは今までにない。火事場のクソ力だった。後に旅慣れると、バスに一本ぐらい乗り遅れてもどうってことないのだが、このときは命賭けだった。

ちなみに、ダウンタウンから空港へのバスは、ロスのサウスセントラル地区を通る。サウスセントラル地区は、1992年ロス暴動のあった震源地である。ロスで最も治安の悪い地域といわれている。ここだけは絶対に近づくな、とホストファミリーからもきつく教えられていた。バスも、サウスセントラル地区だけはバス停にも止まらず、猛スピードで駈け抜けていた。道路には人影もなく、裏通りにコソコソ人が覗きみえるぐらいで、見ているだけでも怖い地域だった。


思いきってアメリカに行ったことは私の運命を変えた。
障害は一つの個性なんだと教えてくれた。障害の有無や肩書きなんて関係ない。
自分がどう思い、どう感じて行動するのかが大事なんだ。

障害の有無や肩書きでなく生身の人間が問われる場に身を置いてみたい。世界旅が始まった。


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