西アフリカ 未訪問国巡り(6)
2017/02 - 2017/03
腐っている社会/ギニア
Give Money ギニアのビザ。念のため、日本で取得(東京なので友人が代理申請)することにした。1万5000円。コートジボワールで取得しても9000円ぐらいかかるみたいなので、確実性を重視。それにしても値段が高い。 シェラレオネから、ギニアへの入国。国境の緩衝地域は、かなり距離あるので歩くのは無理。バイクタクシーが一般的だが、私はタクシーをチャーター。それも一気に首都コナクリまで貸切。総額350,000シェラレオネフラン(=50ドル)。 ホテルに、タクシーが迎えにきて、いざ国境越え。シェラレオネの検問で、さくっと賄賂要求。通行税みたいな感じで、仕方なく10,000レオン(150円)を払う。 出国のイミグレーション。建物は段差で私は入れない。代理でいった運転手が、スタンプを押してくれないと、もめている。私にお金を払って欲しいとせがむ。賄賂を払えば一瞬にして態度が変わる。またもや、150円の支払い。ギニアの入国審査。係員の第一声は「Give Money」。ビザを見せろとか、どこに滞在するのか、一切聞かない。とにかく「金をくれ」それしか言わない。 不当な要求に粘っても限界がある。運転手もしびれを切らしている。2ドルの支払いをすることになった。お金を払うと一瞬で通過。書類記入とかもなし。全ては金次第。 機関銃をもった軍隊がいるギニアの検問。恰幅がいい、いかにも悪そうな親分は、あごで指図する。ここでも、Give Money。2ドルの支払い。賄賂は通行税、有料道路みたいなものと思うしかない。「金をくれ」としかいわない警官や職員たち。こんな腐った国境は初めて。 なんやかんやで国境越えに、1時間半。ギニア側の国境町パメラップで、違う自動車に乗り替えさせられ、その待ち時間に45分。チャーターした車なので、すぐ移動できるかと思ったら、甘かった。
ギニアに入ると悪路だった。ダートでガタガタ。シェラレオネは道が良かった。乗合バスの定員オーバーに唖然とする。荷物乗せすぎ。天井にまで乗客がいる。車が壊れるよ。 検問も多く、女性職員が Give Money。女性に悪徳警官のイメージはなかったが、ギニアは別らしい。2つめの検問で、職員2名が相乗りさせて欲しいという。お金を貰うのも中途半端だが、賄賂代でよく支払う150円を、2名からもらっ相乗りさせてあげる。これがラッキー。その後の3つの検問は、彼らがいるので無料で通過。余計な時間と嫌な思いが解消。 コナクリに入って、ホテルに行く前に、ギニアビサウ大使館(ビザ取得)へ寄り道。14時に到着。15時に閉まるので、間に合って良かった。ビザ代は、100ドル。写真1枚。コピー1枚。15分で終了。簡単。空路でギニアビサウ入国するなら、空港アライバルビザがネット申請で、64ユーロだった。隣国なのに、ギニアとギニアビサウの間に直行便はない。陸路で行くから大使館でのビザ取得が必要だった。 次の訪問国のビザも取得できて、ホテルも見つかり、効率よく移動できて満足。
翌日、ビジネス街に行く。目的は、モロッコ航空のオフィス。リベリアでロストバゲッジになった荷物を、どうにか受け取れないか交渉するため。しかし職員は不親切。ギニアはフランス語。リベリアは英語。言葉も違う。それに荷物のタグ番号もない。ダカールで泊まる予定のホテルか、ダカールのモロッコ航空のオフィスに送ってもらう私の計画は頓挫。
人口密集のコナクリ。大渋滞。ゴミとホコリ、騒音と悪臭。港と魚市場もゴミだらけ。砂浜にたまったゴミをどけて、グランドを作って、サッカーをする地元民。
首都コナクリ。都心の交差点には車いすに乗った物乞いが目立つ。開発途上国でよくみる、三輪自転車タイプの車いす。ポリオの人だろう。
コナクリ市内中心部には、全盲、ポリオ、切断、そしてアルビナ(色素欠乏症)の人達がまとまって、病院の近くで物乞いをしていた。家族からも迫害されているのか、集団生活をしているらしい。底辺の生活かもしれないが、存在が抹消される隔離ではなく、社会の中で自分達で生きている。
荷物が受け取れないことがわかった。ズボンが一枚しかないので、寝間着として、民族衣装のズボンを買うことにした。その買物に付き合ってくれた地元民と昼食。案内のチップは、この昼食。
典型的なギニア飯。牛の皮スープ。肉じゃないところが庶民フード。カニ(中身はほとんどない)を追加トッピング。主食はフフという、お餅みたいなふかふかしたもの。
北へ移動 コナクリの乗合タクシー乗り場。どこが正しいのか、よくわからない? タクシー運転手に連れていかれたのは、ゴミ捨て場みたいな異臭のする汚い場所。北部ボケへの、5人乗りワゴン。助手席に座るのは2名分の料金。パンと水を買って、車に乗って待つ。 運賃は、60,000フラン x 2 = 13ドルぐらいと、値段が安い。1台貸切にしても、350,000 - 400,000 フラン。2名とかいたら、貸切の方が手っ取り早いと思う。後ろに4名座って、30分弱で客が埋まって出発。
首都の渋滞を抜けると、スピードが出る。50キロ制限の道を、120キロで飛ばすのは参った。テロやエボラより、交通事故の方が怖い。寿命が縮まる。
ボケに行くと思ったら、カムサールという町が終点だった。港町。切符がKSと書いていたので、おかしいなと思っていた。カムサールから別の乗合タクシーに乗って、ボケへ。カムサールとボケの間では、これまた中国が鉄道を建設していた。今後どんどん発展しそう。乗合タクシーの運転手にチップを渡して、ボケでホテルを探す。いいホテルに連れていってもらう。
コナクリのホテルを出て、7時間後、14時にボケのホテルに到着。お腹が減ったので、ホテルの人に頼んで、ランチをもらう。ほうれん草の唐辛子煮込みごはん。従業員のまかない飯らしく、無料だった。
夜ご飯もホテルにて。高級なチキン。美味しかった。翌日に過酷な移動が控えてようとは、このときは分らず。栄養を蓄えておけたのは、正解でした。
ビサウへの国境越え フランス領だったギニアと、ポルトガル領だったギニアビサウ。隣国なのに、飛行機は飛んでいない。陸路での移動は国境2つ。1つは雨期には通れない。コナクリから、直線距離での最短ルートを選んだが、これが間違いだった。 ギニア北部。ボケから、ガオールmでの190キロの都市間移動に、15時間かかった。朝3時間の待ち時間、3回の故障トラブル、2度のパンク修理を含む。実際に乗っていたのは、7~8時間。
朝のバス乗り場。田舎町でのんびりしている。コナクリ行きだけが賑わっている。北部ガオール行きは、値段が高く、70,000フラン x 2名(助手席) = 1500円ぐらい。
7人乗りプジョーのワゴンに、助手席2名(2名分支払って私は座る)、後ろ3人席に4名ずつ。天井に車の高さぐらい荷物を積んでいるが、そこに3名(スタッフ1名)。天井に客を乗せるなんて初めて。警官のいる検問の手前では、天井の客は降りて、道を歩くことになる。
1日に1本しかない路線みたいだったので、乗客を強引に詰め込んだのも理由だが、故障で止まってばかり。30年モノのオンボロ車には無理な話。それに悪路。
途中休憩で、皆さんは外に出て、トイレや食事、喉を潤すが、歩けない私は車の中で待つのみ。退屈。道中の村で、ミカンを買って水分補給。ドーナツを買って栄養補給。調子に乗って、村人自家製のヨーグルトを食べて、お腹がきゅるきゅるして、冷や汗をかく。 ずっと未舗装の道路が続く。全身、荷物が、赤土に染まってしまった。もうこんな移動は卒業しよう。 20時30分 クムジアという町に到着。7割の乗客が降りる。
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