米国留学記(1)
2002/09 - 2003/08
住居探し
全米平均の3倍 最初の1ヶ月は、ホームステイだが、その後11ヶ月住むところを探さなければならない。ホームステイ先から大学は遠いので、毎日通うのは無理。また、無理いってホームステイをさしてもらっていたので、四女の部屋を奪うような形で、決して自由な部屋や、時間があったわけではない。机もないし、ベッドにまで犬や猫がくるし。救いはケーブルインターネットがあったこと。家探しもネットを活用することになった。 米国についた翌日。友人が、イーストベイ(サンフランシスコ湾の東側、私の希望するエリア)にドライブに連れていってくれ、治安や環境などの現地の状況を視察することができた。こっちでは、看板が掲げられ、飛び込みで交渉したり、その電話番号で会う予約を取ることが多い。いわゆる不動産屋は、賃貸では存在しないので、自分で探すしかない。 まず、驚いたのが家賃の高さ。ITバブルが収束したものの、ベイエリア(サンフランシスコ、オークランド、サンノゼ)の家賃は、全米平均の3倍といわれます。一部屋で1000ドル(約13万円)は、当たり前。2000ドルとかもします。どれも大きいですけど。だから数人でシェアをして住むことが多い。その代わり、アパートには設備が充実。プールとか、ジャグジーが平気でついてきます。安いところもあるだろうけど(新聞やネットには載らない)、そこはかなり治安が悪いところ。店に鉄格子がしてあったり、道が汚かったり、ヤク中毒者が放浪してたり。 値段が、予想以上に高いので、一人暮らしのアパートを諦め、ホームステイを探すことに。9年前お世話になった語学学校を訪問。バークレー近郊でホームステイを探していると相談すると、学校で斡旋するホームステイは、新聞広告で集めたその学校独自のネットワークで、ホームステイを統括的に管轄する組織などないということ。シュン。ホームステイは諦めるしかない。 ・・・・・ 続いては、一般的なルームシェアを探すことに。自分がアパートを借りて、広告を出してシェアする人を見つけるか、ルームシェアする人を探している人と連絡を取って、交渉し見つけるかの、どちらか。前者は、私の渡米期間が短いのと、時間もかかるし、ややこしいので、後者を選択。 英語力の問題があるので、電話交渉よりも、メール交渉がやりやすいので、ネットを駆使することに。新聞は、賃貸物件は多く載るが、シェアは少ない。また、その現地の新聞でないと情報が取れない。最初は、日本人情報から。いくつか海外に住む日本人が情報を交換するページがある。ガレージセール(引っ越すときに家財道具を売る)の告知なども多い。 一件訪問。場所が悪いけど、とりあえず見に行った。一軒家を四人で住むというもの。入り口に段差が4段。スロープをつけれなくもない。どうやってスロープを買ったり、作ったりするのか、それも問題だが。学校から遠いのと、徒歩で周りを歩きにくいので断ることにした。ベッドを購入するだけで、あとは何でも揃っていて便利なんだけど。ケーブルネットもあったのだけど。 二件電話問い合わせ。いずれも部屋が二階(一軒家の場合、これが多い)。自分で探していると広告を出すも、さっぱり。その間、英語のルームシェア募集のあるすばらしいページを発見!バークレーエリアだけでも、一日に30件以上の書き込みがある。早速、条件にあうものを片っ端からメールする。意外だったのは、みんな丁寧なこと。結局29件のメール送付のうち、21件の返信があった。それも当日や翌日に。早いです。ほとんどが車イスでのアクセスは無理との返事ばかり。バークレーは古い街で、階段のある家ばっかりなんだなー、これが。2件訪問。2件電話確認。 訪問した1件は、大学まで徒歩圏で、1階部分が空いていた。見にいくと最高。通りの奥にあるが、駐車場あり。段差も板をひけばOK。風呂トイレが狭くて、車イスが入らないが、ホームデポ(超巨大大工道具屋)で改造道具を確認。価格も安い。ただやはり車イスが気になったのか。返事は待ってくれとのこと。結局、別の人に貸すってことに。どうしても住みたいから、家賃600ドルを、630ドル出すと後に伝えた。今となれば800ドルでもOKって感じだけど。まあ家賃を上げたからといって住めたかどうかは、わからない。とにかく、千載一遇のチャンスを逃がした。 その後も、メールしまくるが、すべてアウト。バークレーエリアは古い建物ばかり。2件は丁寧になんとかしたいけど、どうにかなならないかと考えてくれたが、階段があると住めない。 お金がかかるけど、アパートに絞ることに。インターネットで物件チェックし、車で走りまわることに。一件、お手ごろな物件があったが、契約する段階で、家賃の3倍の月収証明を見せろとのこと。身分保障が不透明な外国人なのと、きっちりしたアパートなので調べられるのだ。そんなの見せようがない。相手はルームシェアを見つけ(広いから)、その人と出しなさいというが。決まったと思ったが、諦めた。 こうなれば、贅沢してもいいや。少々高くても住めればいいと。価格条件をなくした。もう一ヶ月も真剣に探したんだから、疲れた。エメリービルという、ベイブリッジの渡ったところの街に決定。ネットの表示価格より100ドル安い、1090ドルなり。30畳くらいの一間。台所別、ベランダ付きです。約700ユニットもある超巨大アパート。プール、ジム、コンビニ、3つのジャグジー付き。ここでも、また収入の3倍証明を言われた。でも同居人じゃなくていいって。ホストファミリーの稼ぎ頭のママに、日本でいう保証人になってもらって入居しました。いやー大変。大変。 家の契約もすごかった。何十枚の書類にサイン。細かすぎるって。訴訟社会米国ですな。支払いが、パーソナルチェックという少し特殊な小切手だったり、保険や諸経費、複雑でした。
家具購入 アパートを借りたら、家財道具を買わなければならない。これが大きな出費と、大きな手間になる。特に私は車イス。自分で大きなものが運べない。ホストファミリーの三男ビリーに、引越しは、ずいぶん手伝ってもらいました。特にベッドね。ルームシェアだと、台所用品は買わなくていいし、家具も残ってたりすることがあるもんね。 米国では、個人売買がとても盛ん。この地域は、消費税だけで、+8.25%。 100万の車だと、8.25万円の消費税だ。個人売買は少なくとも消費税の1割は確実に節約できるということでもある。ちなみにレストランだと消費税+チップ。表示価格に、2割増しだと思ってください。 アパートになるか、ルームシェアになるか、どんな部屋か、最後まで決まらなかったので好きなときに買えない個人売買は有効活用できなかった。それでも、電子レンジ25ドル、卓上ランプ5ドル、炊飯器を無料でゲット。テレビは、27型で199ドル。聞いたことのないメーカーです。お気に入りのイスは、安くてセンスのいい大人気ショップIKEAで、9ドルでした。しかし家具は組み立て式ばっかり。ドライバーもないのでビリーに組み立ててもらってばっかりでした。
ベッドは、もらえる話もあったけど、いつになるかわからないし輸送問題があるので、店で310ドルで購入。安いです! 日本でいうダブルのサイズ。マットは上々の固さ。車の上に縛り付けて運んだ(輸送費60ドルの節約も、ビリーにチップでチャラ)。いい買い物でした。シーツ、枕、布団はディスカウントストアにて。ライトはIKEAで10ドル。安いね。
海外でのお風呂に入るには、シャワーチェアーを置くと便利です。軽いし、濡れても大丈夫なり。通常こちらの人は立ってシャワーを浴びます。バスタブに座っているとシャワーは浴びにくい。ホストファミリーの風呂では、バスタブの底は、髪の毛と砂などでめちゃくちゃに汚れてました。ホームデポで46ドル。ネジ一つで外せるので、スーツケースに入れて持ち運びも可能です。
家賃高いので、自炊をマメにした。スーパーは値段安いけど、量が多くて困る。ジュースや牛乳もガロン(約4リットル)で売ってます。アイスクリームも、2リットルの巨大サイズ。不思議なのが、すべてを食べているのかな? ということ。安いから買うけど、使わずに捨てたり、味があわなかったり、廃棄は多いと思う。コストコというスーパーだと、一年分のトイレットペーパー、洗剤、とか度肝を抜く単位で売っていました。
ドタバタ自動車購入劇 一年間の米国生活。最初の一ヶ月は、準備期間としてホームステイしながら過ごすことにした。まずやらなければならない大仕事は、自動車の購入。 インターネットや新聞、店頭などで値段と車種をチェックする。日本車は中古でも値段は高いままなのでビックリ。それだけ性能がいい、故障が少ないということなんだろう。米国にいる多くの日本人が、日本車に乗っているが、せっかくの機会、でっかいアメ車に乗りたいとの願望があった。 また、米国でハンドサイクル(手こぎ自転車)を購入して、積み込む予定なので、大きい車が欲しい。ホストファミリーのビリー(19歳)に相談に乗ってもらい、狙いをフォードのトーラスワゴンに絞った。 インターネットで車種を指定し、近くに売っているディーラーがないかを調べる。自動車で一時間程、オークランドにあるディーラーにお得な価格の車があるのを発見した。車種と年代を入力すれば適性価格が表示され、その自動車の販売店が表示される便利なサイトがある。本当にインターネットってスゴイ。 ところが、ディーラーに電話するも一回もつながらず、いつも留守番電話であった。待ってても仕方ないので、日曜日、ビリーの運転する車で直接ディーラーを訪問することにした。しかし、オークランドのディーラーは閉まっていた。なんだかよくわからない。幽霊会社なんだろうか? オークランドは、2002年の上半期、82人が銃で死亡している、若者達の抗争が絶えない全米で最も治安の悪い地域があることで有名になっていた。ビリーは巨体に似合わず珍しくビビッていた。明らかにオークランドを運転するのを嫌がっていた。確かに街は汚いし、商店に鉄格子がしており、ホームレスや放浪してヤク中が見えたりする。ビリーは窓を絶対に開けるなと私に注意をしていた。 ビリーがあまりにもビビルのでオークランドの街を慌てて抜け出すことにした。コルマというカーディーラーの多い街に移動し、フォード正規ディーラーに行った。正規ディーラーだけあって該当車種がおいてあった。表示価格は高いが、状態がいいので交渉をしてみた。7800ドルの価格を、諸費用・税金込みで6500ドル(本体価格5700ドル)に値切った。3.6リッター、ベンチシート。これぞアメ車なり。 さて、書類を書くために建物の中に入ると、中国系の商人顔のボスが登場。6500ドルで成立したと思ってたが、それは君の希望価格だろ? と言い張ってきた。さらに奥のボス(いるのか不明)は、7200ドルでしか売れないと言っているらしい。 キレた! 「おいらは、全部コミコミで6500ドルだから買うんだ!」 「それでもう話はついたが、契約の場面でなんなんだ!」声を荒げると、一瞬で7000ドルに下がった。でも私は眉一つ動かさない。彼らは奥に下がった。 完全に私は怒っていた。こんな商売の仕方をする奴らは許せない。いい車だけど、他にもたくさんディーラーはあるし、時間と手間はかかるけど探せばいい。もう帰ろうと、ずっと待ってくれているビリーに伝えた。 彼らは、往生したのか、6700ドルでどうだと譲歩。もちろん私は動かない。興奮して私の耳は真っ赤っ赤。ヒスパニック系のスタイルのいいセールス姉ちゃんは、もう私の管轄外だと知らん顔をしていた。店を出ようとしたとき、ついに6500ドルでOKが出た。かなりの時間を要してしまった。 価格は決まった。契約書にサインだ。しかし、大きな問題があることがわかった。交渉の過程で、キャッシュ(現金)で払うことができると伝えていた。ところが、私の英語力のなさで、彼らはその場で支払うと勘違いをしていたのだ。 私はクレジットカードと、キャッシュを利用して支払うと考えてたのだが、その場で払えないことに相手は呆れてポカーンとしていた。総額九9000ドルから、6500ドルへの思いきった値引きは、キャッシュで一括払いをするから成し得たもの。翌日に銀行でお金を降ろすことができるが、クレジットカードのキャッシング金額には上限がある。日本からも十分なお金を持ってきていなかった。 彼らは、きっちり6500ドルでないと売らないと言い張った。半分の3000ドルだけ払って、翌月に残りを払うとか、翌週に残りを払うとかローン返済には耳を貸さない。ビリーも、せっかくの格安車がパーだと言い放った。6500ドルに少しの価格でも上乗せしてでも、彼らはすぐに車を売り払うだろうとも。 さらに悪い状況が判明した。私は、SSNソーシャル・セキュリティ・ナンバー(社会保障番号)を持っていなかった。米国では、全ての人がこの番号を持つ。社会福祉を提供する上での国民番号である。9.11テロ以降、外国人に対する規制が非常に厳しくなった。以前なら、観光ビザでも、語学学校の在学証明などあれば取得できたのだが、無理だった。もちろんSSNがなければ、自動車免許も取ることができない(運転は日本から持参した国際免許証で可能)。身分保障ができないので、私はディラーから自動車を購入できないのだ。もちろん、個人売買や裏取引などで、登録をしない違法行為で自動車を持つことは可能である。 しかし、購入に関しては、裏技があった。同行したホストファミリーのビリーが自動車を買う(所有者になる)ことにするのだ。財布はもちろん私。ビリーは何かのときに困るので最初は嫌がったが、後には喜んでくれた。大きな買い物をしたという履歴が残り、クレジットカードの利用上限額が上がったとの通知が届いたのだ。 金もない。身分保障もない。すごすご退散するしかなかった。 ・・・・・・ 集めた現金を握りしめ、ビリーとビリーの友達アレックスと早速ディーラーに直行した。米国では100ル札は滅多に使われない。基本的に高額な買い物は小切手かクレジットカードである。よって高額紙幣は、20ドル札になる。 6500ドル分の20ドル札は、すごい量だった。大金持ちになった気分。それをテーブルに広げてセールスマンと数えると、なんと137ドル足りないことが判明。家で数えたつもりであったが、間違っていた。あまりに細かい紙幣ばかりだからだ。非常時のための1ドル札の束を開き、それも追加する。そして持ち金がついになくなった。 でもまだ3ドル足りなかった。冷や汗が出る。 ビリーが半笑いで、くしゃくしゃの1ドル札3枚をポケットから出してくれた。ちゃんと確認しとけよと怒りを押し殺しながら。 銀行の小切手を持ってくることを忘れていた。まだ米国の習慣になれていなかった。銀行には500ドルの預金があるのに。今それが払えない。アホだった。 セールスマンは、細かい紙幣が混じった大金を、改めて数えるため奥に入った。数分後、血の気のない顔で帰ってきた。「まだ99ドル足りません」。なんてこったい。 さっき勘定したのに信じられなかった。不正をしないように、皆の見ている前で数えようとなった。自分の目で確かめないといけない。本当のボスの前で、セールスマンと私、3名で改めて札束を勘定する。やっぱり99ドル足りなかった。ビリーと友達アレックスは、もう目が点になっていた。 財布に日本円が数万円入っていた。これを両替すればいい。近くの銀行に駆け込むことにした。ちなみに外貨の両替は、米国では銀行口座を持っている銀行でしかできない。近くに口座を作った銀行があったので助かった。しかし銀行の窓口は混雑していて両替に30分を要した。 二日間の悪銭苦闘。苦労して金策して、持っている銭をすべてはたきだし、ようやく車をゲットした。持ってきた金が足りないなんて、コメディ映画でもこんなドジなことはあるまい。 ・・・・・・・・・ 車は、米国で購入した携帯用ハンドコントローラー(手動装置)を購入して装着した。携帯用を選んだ理由は、価格が安いからである。以前の旅行では、オーストラリア製のハンドコントローラーをつけて運転していたが、米国の最新式モデルは、ずっと性能がよく、運転が非常にしやすい。グリップを押せばブレーキ。引けばアクセル。力もいらない。 また、車には、クルーズコントロールという一定速度で自動走行する機能がついていた。交通量の少ないハイウェー(高速道路)や、何もない一本道だと、とても便利である。上り道も下り道も常に一定速度で走ってくれる。 米国は交通違反に対する取締りが厳しいので、諸外国と比べて車はスピードが出せない。よってスピードを出しすぎることもクルーズコントロールで防げるので非常に便利だ。また、クルーズコントロールしていると、通常アクセルとブレーキを操作している左手を休めることができる。両手でハンドルが握ることができる。最高だ。 もちろん、車が渋滞で詰まったとき、速度を変えるときは、ブレーキを踏めば、クルーズコントロールは自動的に解除となる。これで、長距離ドライブも楽になった。思わぬおまけもついていた。この車を買って大正解だった。後は、故障をせずに一年間乗り切ってくれればいいと願う。 しかし一年後。米国を引き上げる直前、最後の最後で事件は起きた。ワイオミング州にあるイエローストーン国立公園から、映画「シェーン」で有名なグランドテトン国立公園へ、米国で知り合った稲森さんと私の車で旅行をしているときに、故障したのだ。故障とは、いきなりアクセルペダルが踏めなくなるもの。油圧でペダルの強弱が調整されるのだが、そのケーブルが切れた。 これでは自動車は進まない。オートマチック車なのでアクセルを踏まなくても前に進むがノロノロ運転。平らなところで故障が発生し、公園の管理事務所まで自力走行できたのが、せめてもの救いだった。 アクセルだからよかったものの、もしブレーキのケーブルが切れていたら、止まることができないので大きな事故になっただろう。まったく信じられない故障が起きるものだ。アメ車はやはり信頼できない。最後になって、ようやくわかった。 国立公園の真ん中で故障した車は、稲森さんの保険サービスでレッカー車を呼び出し、近くの町までレッカー輸送した。ところが日曜日で修理工場は休み。足止めをくらった。翌朝にその修理工場で調べてもらうが、部品がなく、取り寄せに三日かかるという。それでは困る。色々と調べてもらい、山を越えた別の町で修理をしてくれるというので、再びレッカー輸送。小さな町工場では、廃車となっている同じフォードのトーラスから部品を調達し、なんとか直してくれた。あと二日しか乗らない車。最後の最後で、大きな出費となった。アイタタ。 |