米国留学記(7)
2002/09 - 2003/08
ラスベガスで年越し
大晦日 2002年の年越しは、ラスベガスで過ごすことにした。カウントダウン花火が有名で、毎年、多くの人が集まるからだ。ホテルも大晦日だけは通常の3倍以上して、更に予約が取れないほどの大人気。私は車で寝た。 夜の10時くらいから、ラスベガスのメインストリート「ストリップ」は、人だかりで大変。皆が、ビール瓶片手に酔っ払いながら、ひたすら歩いて騒いでいる。誰もが、「ハッピー・ニューイヤー」という挨拶のもと、仲良くなれる。きれいどころのお姉さんに、この日ばかりは簡単に声をかけれるのは非常に嬉しい。 人で埋まって、動けなくなった12時。カウントダウン花火がラスベガスを代表する約10のホテル屋上から打ち上げられた。しかし、しょぼい。迫力なし。5分強で終了。一斉のカウントダウンコールもなし。あっという間だった。花火は日本のお家芸。地元の花火大会の方が数段面白い。ベガスは単なる酔っ払いの集まりだった。各ホテルやクラブで、大晦日イベントが繰り広げられているので、そちらに参加するほうがいいだろう。 レッドロックキャニオン ラスベガスから西へ、車で30分。レッドロックキャニオンがあります。砂漠の中の渓谷。サイクリングを楽しむ人も多いところ。道は一方通行で、運転も超簡単。ところどころに駐車場があって、バーベキューやトレイルができるようになっている。ベガスにきて、レンタカーするなら、レッドロックキャニオンをお忘れなく。
フリーモント・ストリート・エクスペリエンス ラスベガスのダウンタウンは、ストリップ通りのテーマホテル地帯から車で15分くらい離れている。かなりさびれていて、面白くないが、唯一、フリーモント・ストリート・エクスペリエンスだけがある。商店街のアーケードを電飾で飾り、夜、1時間毎に、違った映像と音楽ショーが行われる。会社に入社したての頃の仕事で、この仕掛けが事例で出てきて、私は話についていけなかったが、6年後にようやく本物を見ることができた。そして、それはとても素晴らしいものだった。
長さ100メートル以上のアーケードは壮観。音響もガンガンで、ラスベガスならでは。日本だと近隣迷惑とかで大きくできないと思う。このショーのときは、商店街の商店やカジノのネオンは消され、ショーを盛りたてます。このアーケードは、道端で野ざらしだった。てっきり天井があると思ってたのに。砂漠の街だということを実感。
ストリップ通りからは、距離が遠いが、ラスベガスでは見逃せない無料ショーです。演目が何通りもあるので、2回以上見ることをオススメします。1時間毎なので、周辺を散策しているうちに、次のショーが見れますよ。 スカイダイビングに挑戦! 過激なことが好きなので、いつかスカイダビングをしたいと夢をもっていた。ラスベガスの情報を集めていると、スカイダイビングが多く行われていることを知った。車イスなので、その旨を丁寧に説明し、スカイダイビングの会社にメールを送って聞いてみた。何回かやりとりをしたが、最終的には、その場で決めるとのことで、あいまいだった。その場で、私の優良な健康状態や、責任は自分で負うという署名をすれば、飛べるだろうと思った。
この旅の同行者、鎌倉くんも一生の機会なので、飛ぶことになった。2名の予約を入れて、飛行場へ。すぐにお金を支払い、日本語のビデオ、資料を見た。そして何枚にもわたる書類の署名。このビデオと署名するときが一番怖い。事故があった場合の責任は自分で負うとのことだからだ。死亡事故も、過去にないわけではない。もちろん発生件数は低い。インストラクターと一緒に飛ぶので、彼らも死にたくはないので、まず大丈夫だろう。飛んだときにパニックになって、錯乱しない限り、インストラクターに任せれは確実に安全だと思う。
さっそく、私も着替えて、記念撮影。もうドキドキ、ワクワクで、飛ぶのが待ちきれない。どんな感覚だろう?
しかし、私は飛ぶことはなかった。友人の 鎌倉くんだけが先に飛び、私の番は次かと思うと、名前が呼ばれない。その次も。問いただすと、インストラクターが飛びたがらないとのこと。友人を飛ばせるために、車イスの私が飛べないことを隠していたのだ。ズルイ。めちゃくちゃ腹が立ちました。メールで何度もやりとりをしているのに、飛ばせる意思がないなら、その旨をはっきりいってほしい。1時間以上待ったが、着ていた服を脱ぎ、料金を返却してもらって帰った。半日が無駄になった。 もうスカイダイビングをする気は失せた。無理に固執することはなし。 ラスベガス 主要ホテル 一言コメント (全部を歩きまわりました) 2003年1月
宿泊日によって、大幅に料金が変わりますので、細かくチェックする必要があります。 |