カンボジア旅行(1)
1999/12
チップについて考える
チップについて、いつも考える。 アンコールワットにて 世界遺産でもあるアンコールワットに行った。遺跡は、でこぼこであったり、階段があったりで大変だとは予想していた。いつものことなのだが、とりあえず行ってみてから考えることにした。 まず、メインゲートの西門の回廊(下写真)に上がるのに10段くらい段があった。ここは、人も多く、物売りもたむろしているので、適当にヘルプしてもらう。 回廊を歩きながら、この先は入れるかなと思っていると、観光客用のカメラマンである青年2人が、「正面は階段があるので、象のゲートを通るといい」と教えてくれた。しかも、一緒に連いてきてくれた。象が入る道(正面左側)は、段差もなく快適である。
どこまでアンコールワット本堂の近くに行けるだろうかと楽しみにしていた。案外、奥まで進む。その途中に、みやげ物屋の青年と少年が2人加わり4人となった。正面の反対側(東側)にまでまわると、そこはスロープになっていた。
そうこうしながら、アンコールワットの本堂の前まで到着した。そして、本堂の中に入ろうかと話になり急な階段を4人でかついで中に入る。てっぺんまで登ったりするのは無謀だし無理なので、本堂の回廊を一周することになる。 その4人は、壁のレリーフの物語や、意味するものを解説をしてくれた。もちろん、壁のレリーフがある回廊には敷居の段差があって、彼らに10回以上かついでもらった。 さて、わいわいがやがやと賑やかに観光した後、アンコールワットを出るとき、途中から手助けしてくれた年長の不良みやげ物屋が交渉してきた。 「チップをくれ」 最初の二人が助けてくれたのは善意である。アンコールワットの中を解説してくれたのはガイドである。最初から、助けてくれたらお金を払うと契約したりするのは嫌だ。しかしながら、助けてくれたりしたらお礼はしたい。なんでもお金で解決するのは嫌だから、物でお礼をしたい。 それは、キャンディであったり、お菓子であったり、食事を一緒に食べておごったり、ジュースをおごったり、写真を撮って送ったり、折り紙で鶴を折ったり・・・いつも私は、お金でない何かで感謝の気持ちを表現することにしてきた。払っても、1ドルしか払わない。 話を戻して、アンコールワットで彼は4ドルを要求してきた。これはいくらなんでも高い。私の考えでは。、2ドルだった。しかし、2ドルでは4人で割れない。2ドルに相当する現地紙幣も、4で割れるように持ち合わせがなかった。 4ドルに断固として反対すると、彼も食い下がらない。他の3人は複雑な顔で見ている。結局、根負けして、3ドルをあげた。きっちり4人で分けろよと念を押して。 決まりの悪い別れをして、苦しみながら車イスを進めていると(道が悪いので)、最初の2人は助けたそうかなんだかわからない表情。その2人は、また複雑な顔をしていた。 どうも、リーダーは3ドルを一人でせしめたらしい。 あー、彼らに悪いことをした。一人ずつにやはりチップをあげなきゃと。どこの国でもそうだが、力のある奴が得をする(経済的に)。人のいい奴は損をする(経済的に)と、改めて思った。 アンコール遺跡一周 次に、アンコールワットを後にして、アンコールトムに向かった。アンコール遺跡群は、一般の旅行者はだいたいバイクタクシーを借り切って巡るのが普通だ。歩いて周るには広すぎる。アンコールワットから、アンコールトムの中心部までも4kmぐらいある。 タクシーを借り切って周ればいいのだが、高いし、一人で周った方が出会いもある。また、タクシーの運転手に何回もかついでもらったりするのは大変だ。ただ行って見るだけなら、写真を見ても同じなので、歩くことにした。 歩き始めて500mぐらい行ったら、びわの木みたいな実の食べれる木があり、ガキンチョが登って食べていた。どんな味かと、一つもらった。食べ終わった後、車イスをこぎ始めると彼らが後を追ってきた。車イスが珍しいのか、さらに他のガキンチョも寄ってきた。総勢、8名のガキンチョと行進する。車イスも押してもらえるので、楽チン楽チン。 その中で、しっかりもので英語も達者なガキンチョが色々と話を盛り上げる。しばらく進むと、家の近くに来たみたいで、自分はもう帰ると言う。で、ポケットから竹製のブレスレットを出してきて「1ドル」と言う。車イスを押したお礼が欲しいらしい。ただチップを請求するだけでなく、モノを売るとは賢い。しょうがないし、私も納得して彼からブレスレットを、30円(1/4ドル)で一つ買う。他にも家に帰ったガキンチョはいたが、うまく小遣いを稼げたのは彼だけだった。彼の将来が楽しみだ。 そして、アンコールトムの入口に着く。もうここでいいよと、まだ残っているガキンチョ3人に言っても、3人は帰る様子がない。まだまだついて来るらしい。どこまで来るのかと心配したが、結局、最後までついてきた。
結局、この後、3人とは実にアンコール遺跡を周回する20km道のりを共にすることになります。時間にすると、朝の9時30分~16時30分まで、7時間一緒でした。(アンコールワットは朝の7時30分に着いて見てましたから) さて、最初のアンコールトムの中の遺跡を見るために、どんどん進んでいたとき、砂地や石のかけらが多いでこぼこ道に遭遇し大変な状態になった。彼ら3人の力では、押すことが不可能で、危険なところがあった。それを見かねた10代後半の少年が助けてくれた。その彼も一緒に同行した。これで、より観光が楽しくなった。 ちょうど、この日は、日曜日だったので、たくさんのガキンチョが遺跡に溢れていた。聞く話によると、小遣い稼ぎで遊びに来ているらしい。外国人旅行者についてチップでも貰えるとラッキーとでも考えているんだろう。その中でチップを貰おうと「こすいガキ」もたくさん出没し始めている。チップを貰うことを覚えると、あんまり良くないなーと思う。しかし、周りの子どもが、稼いでアイスクリームなどおいしそうに食べているのを見ると、子どもたちは、みんな真似したくなるものだ。 他にも、道中に、遊んでいた女の子4人組とも知り合って、しばし一緒に観光したりもした。意図的に私が、彼らに手助けしてもらおうと、仕組んだせいもあるが。。。なぜなら、ガキンチョ3人組も、女の子が見ていると、車イスを押すのに張りきるのだ。女の子の前では、誰しも格好良くみせたい心理をついた。それに、大勢の方が楽しい。 総勢8人の子ども達と、しばらく観光した。距離のある次の目的地に移動するときが来て、少年とガキンチョ3人に「ついてくるか?」と聞くと、YESの返事。女の子もついてくると態度で示すが、一番年長のしっかりした少年が、長い距離になるので来るなと引き止める。なんせ20kmの道のりなのだ。女の子達もついてくるのをあきらめきれず、しばしついてくるが結局、帰った。
いくつかの遺跡を観光し、日も暮れはじめた頃、ようやくアンコールワットまで戻ってきた。さすがに少年もガキンチョも疲れている。彼らもこの道を通ったのは始めてだった。なにせ20km。しかし、毎日片道3kmの小学校までの道のりを歩いているのでたくましいのは確かだ。 さて、我々の歩いて周る旅も終わりに近づき、分かれ道に来た。私が進むのと別の道は彼らの家に帰る近道である。「長い道のりだった」「ここから家まではバイクタクシーに乗らねば帰れない」と同情攻撃が少しあった。ついてきてとは頼んでないのだが、やはりチップ要求があるのか。。。 こうなりゃ、チップをあげなきゃならない。 10代後半の彼には、1ドル。 ガキンチョには、それぞれ70円、50円、50円。70円は、ずっと車イスを黙々とおしつづけたガキンチョ(上の写真、上半身裸の子)だ。 ところが、額に不満があるのか(繰り返しになるが、1ドル以上はあげない)、どよどよとした空気が流れる。少年にしても、最初に交渉しないのが悪いし、交渉するかどうかも難しいし(断られたりするし)、交渉に失敗すればチップをもらえないこともある。小賢しい奴はちゃっかり交渉しているが少年はまだ慣れていない。 「額は問題でない」と、私は思う。 1ドルは労働となれば安い金額だが、楽しく遊んで、みんなでお菓子を食べた。彼らも、マイナスにはなっていないもんね。そして、少年はその場で立ちすくんだ。 しょうがないので、彼らを置いて車イスを進める。チップも少ないがあげたことだしね。帰りのタクシーの待ち合わせ場所まで2km程はあるので、そこは自分で歩かないといけない。ガキンチョ達は、どうしたらいいのかとたたずんでいた。
彼らに別れを告げて、俺がちびちび進んでいると、5分後ぐらいだろうか、ずっと押してくれた一人のガキンチョが走ってきて私に追いついてきた。みんなは帰ったのに、一人だけ私を助けに来たのだ。 そして、黙って私の後ろを押す。 感動した。 おそらく、すごく葛藤があったに違いない。まだ距離があるのに俺を残していけない。しかし、年長者に怒られるかもしれない。どちらを優先すべきか・・・黙して語らず。えんえんと車イスを押していく。最終目的地、帰りのタクシーの待ち合わせ場所についたときには、空があかね色に近づいていた。
最後まで、ついてきたガキンチョは最終目的地に着いても、黙して何も言わない。私は、ここでもチップを迷った。 あげるべきか? あげざるべきか? 迷ったあげく、お金よりも大事な「心」とか「やさしさ」があるから、それを大切にして欲しいと思ったので、結局、チップはあげなかった。ただその代わりに、腹が減っていたので屋台で買った魚のフライと、うずらの丸焼きを半分あげた。持っていたボールペンも勉強しろよという意味で、これもあげた。 このガキンチョ3人は、他のガキンチョ達よりも貧しそうだった。一日中ついてくるということは、家に帰っても何もないということを意味している。昼ごはんもないのだ。おそらく。 最後までついてきたガキンチョは着る物がないのか、上半身裸であった。他の2人のガキンチョも、上着を着ているが、破けていて修繕すらしていなかった。また、ズボンも小便くさかったので、3人とも洗濯をしてもらっていないみたいだった。
ミャンマーからの手紙 ミャンマーのコラムで人々が素晴らしいと書いた。理由として、資本主義が入ってきてないから「お金」「お金」とあまりしていなく、ぼったくりが少なく純朴な人が多いと。 パガンで世話になった「マウン」「ウィン・ウー」の二人もそんな人だった。チップを要求してこないし、純粋にパガンの素晴らしさを俺に伝えたいという気持ちであった。夕食や酒をごちそうもしてくれた。 感謝の気持ちとして、帰国後お礼の手紙と写真を送った。無事、届いたみたいで、2ヶ月後「マウン」から日本に手紙が届いた。また、10ヶ月後「ウィン・ウー」からも手紙が届いた。 内容は似ていた。 「あのときはすごく楽しかった。写真も大事にしている。ありがとう。またパガンに来てください。みんなが待っている。しかし今、お金に困っている。どうにか助けてもらえないものか」 彼らがチップを要求しなかったのは、一つは、知識がなかったのが原因かもしれない。それとも、。周りの人達が、外国人旅行者から多くのチップをもらったり、ぼったくったりしたりして、経済的にリッチになった話をうらやましく聞いたからかもしれない。また、周りから、あれだけ世話したのにお金を貰わなかったとはアホだとかいわれたのかもしれない。お金がいる生活が侵食し始め、テレビやバイクなど物欲が、彼らを刺激し始められてきたのか。 チップといっても、日本で稼いでいる給料からすれば微々たるもの。あげるのは簡単だが、チップをこすく貰う習慣が身につき、それで狡さを学ぶ。金額の問題でない何かを失うのではないか、自己の尊厳とかを。 また、彼らにとってもチップを貰うために、狡猾になるのは幸せでないと思う。経済的に豊かな恵まれた状況のものがいうのもなんなんだけど。お金が欲しくて親切をするんでなくて、親切をした結果として、お金が入るならいいんだけど。ミャンマーで会った二人は、親切の見返りにお金を要求してきたのでないよねと、信じたい。 私は、「お金はお金で」と人間関係を割り切ることはできない。まだ子どもなんだろうか。イスラム教の喜捨(ザガート)みたいに、お金持ちは貧しい者にお恵みするというのもできない。厳しいかな、自分で何とかして欲しいといつも願う。恵みを求める人は、自分で何とかできないから頼むのであろうというのはわかるんだが。何とかできない状況に先進国の我々が、植民地的に経済支配しているのもわかるんだが。難しいな。 |