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中東旅行(2)

2000/04  -  05

ジェラシュ 死海 1day trip / ヨルダン


ジェラシュ

前日に、ホテルからバスターミナルまで乗ったタクシーの運転手が英語が話せたので、交渉して、30JD(約5000円)で、ジュラシ遺跡と死海を巡るタクシー借りきり契約をした。ジェラシュ、死海、共に、タクシー運転手が、車イスの私を観光地で手助けしてくれることも期待してだ。

ジェラシュに着いて、駐車場に車を停め、車いすで入れるところを探す。正面入口は、階段なので入れない。そこで横に廻ってみると、隙間があって、そこから入場した。

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遺跡というのは、車イスで見るには非常に厳しいところだが、ここジェラシュは割に見やすかった。それに、この横の入口もそうだが、スロープもついてたりする。遺跡の中に入るとスロープなんてなく、道はガタガタだけどね。(道を舗装すると、遺跡でなっくなってしまうから)

また、ヨルダンは福祉意識が高いのだろうか、ジュラシ遺跡の入場料5JD(約800円)も、車イスだから無料だった。ムハンマド(タクシー運転手)も交渉をして、介護するからという理由で、彼も無料になった。スロープもついてるし、割引もあるし、手助けしてくれるし、本当旅行しやすい。

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ジェラシュは、さすが世界遺産に選ばれているだけあって壮観。列柱通りもきれいに残っている。でも、道がガタガタなので、車イスが壊れては困るし、行くのに大変なので、これ以上の奥には行きませんでした。しょうがないね。

遺跡の中には、定番のローマ劇場があります。フランス人団体旅行者へのサービスなのか、現地人が遊んでいるのか、定かではありませんが、ちょうど舞台の上で、ヨルダン人がアラビックダンスを踊っていました。調子に乗ったフランス人ツアー客も舞台に上がって一緒に踊ったりして、見ていて楽しかったです。

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それにしても、ローマ人というのは、どの街にも立派な劇場を建てていて驚かされます。文化度が高かったのだなと想像してしまいます。


死海

ジェラシュを堪能した後は、死海へ向かった。死海は世界で最も標高の低い所。一番低いところは、海抜マイナス394mにもなる。したがって、死海に向かう道は、どんどんと渓谷を下って行く道である。また、標高が低いということは酸素が多い(標高高い=酸素薄い)ので、ムァーとした空気。タクシ運転手のムハンマドが「ここは特別な場所だ」と色々説明してくれた。高地のスカッとした空気は経験したことは幾度とあるが、空気が濃いというのも面白い。

ムハンマドは私を政府公営の海水浴場に連れて行ってくれた。入場料はとられるが、その分、設備がそろっている。ムハンマドや周りの人に段差を担いでもらったり、砂浜を押してもらって、死海のビーチに行った。

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世界各地から観光客が訪れ、体中に泥を塗りたくり、騒いでいる。皆、泳いでいる(浮かんでいる)というより、泥パックで美容をしている。女性もたくさん水着になっていたが、厳格なムスリム(イスラム教徒)の女性達は、子どもらが遊ぶのをパラソルの影で見ている。私も死海に来たからには入って浮かねばならぬ。大変だけどムハンマドや、またも周りの人に手伝ってもらって死海に入る。


死海に入った感想を素直にいうと

 ・思ったよりも体が浮かなかった。このビーチは死海の北側にあるので、ちょっと濃度が薄いらしい。
  → 死海の南側の濃度の濃いところだとスゴイらしい。

 ・浮かんでいて、顔を上げるには腹筋を使っていたので疲れる。
  → 顔を死海につけるのは恐い。

 ・お尻が痛かった。
  → 体に傷があると染みる(塩分濃いので)。ここに来る直前にウンコしてお尻を切っていたのだ。

死海に来たこの日は、金曜日(イスラムの安息日)だった。ヨルダンでは休日にあたる。アンマンから死海に来る道路沿いでは、バーベーキューする家族が何十組も見えた。空気の濃い静かなエリアで、のんびりと家族で休日を過ごす。ほほえましい光景がたくさん見られた。 みんな幸せそうだなー。


タクシー運転手 ムハンマド

彼の年齢は、29歳。敬虔なムスリムだ。見た目は、すごく老けて見える。頭は薄いし(だからいつも帽子をかぶっている)、髭も濃いしね。一緒にいて、すごく親切だし、話も弾むし、楽しいのは、なぜだろうと考えた。たぶん彼は、今もっとも幸せな時期なんだろうと勝手に結論した。

それもそのはず、3才と1才のお嬢さんがいて、幸せな家庭生活を送っている。それに今日は、俺という上得意客もついて儲けている。また、聞くと、つい先頃、ハッジ(聖地巡礼)に、母を連れて行ってきたばかりだという。その母は体調が悪くて、車イスに乗っている。彼はずっと車イスを押して、母と一緒にハッジ(巡礼)の行をこなしてきたのだ。私の車イスを押すのも、介助するのも違和感なかったのもうなずける。おそらく費用も自分が出しただろう。 3週間で1500US$(バスで行って)もかかるのに。最高の親孝行だったに違いない。

ところで、ハッジ(巡礼)とは、イスラムの聖地、メッカのカーバ神殿にお参りに行くことだ。五信六行の一つで、ムスリムにとって憧れの一生に一度は行きたい信仰の証である。よって世界中から、何百万人のムスリムが集まる。みんな白い一枚布をまとい、テントで寝て、お祈りし、カーヴァ神殿を周回し(教科書とかに載ってる)、悪魔払いで石を投げ(前の人はぶつけられて死ぬ人もいる)、神聖な羊をさばいて食す。何百万の人が、肌の色も出身も関係なく、何日もの間、同じように同じ行動をとる。

ハッジ(巡礼)は、世界一の旅行だと思う。ムスリムでないと参加できないので、行ってみたいけど、私は行くことはできない。車イスで行ってみたらどうなるのか、考えただけで、とても興奮するだろう。人の波に押しつぶされるかもしれない。運転手のムハンマドは、ハッジ(巡礼)から帰った後、体重が8kg落ちたと言っていた。それだけ過酷なのだ。死人もたくさんでる。砂漠で自然環境が苛酷なこともある。しかし、ハッジ(巡礼)で死ねるのは最も名誉なことなのだ。 うーん奥が深い。。。


市内の映画館

アンマン市内のダウンタウン中央の通りはコリドーになっている。雨も避けれるし、直射日光も避けれて便利だ。段差があっても人々はヨルダンホスピタリティがあり、ものすごく親切。誰もが自然に手助けしてくれる。

商店は、多くが古着、中古の物を扱っていたりする。掘り出しものがあるかも。どこかの国の援助物資とかが流れてきて売られているのでは、とも思った。毎金曜日に出るらしいフリーマーケットなんて、欧米の古着だらけだった。

さて、そんなアンマンのダウンタウンを歩いていると、怪しい映画館を見つけた。中に入ると、ラブシーンやきわどい描写の(エマニエル夫人みたいな)ポスターが貼られまくっていて、女性の乳房や下腹部などには、墨が塗られている。実に怪しい雰囲気がプンプンする。このイスラムが厳格なヨルダンでも、ポルノがあるのかと中に入って確かめたかったが、残念ながら劇場は階段を上がって2階だったので、諦めた。

また、同じような怪しい映画館が、同じ通りの200m先にもあった。こちらは、さらに外観がピンクで、ますます怪しかった。 こちらも劇場は2階で見れなかった。

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アンマン市内でのポルノ映画館疑惑が晴れないまま、シリアのダマスカスに移動し街を歩いていると、また同じような映画館に出会った。今度は、劇場が一階で車イスで入ることができたので、お金(2ドルくらい)を払って途中入場した。映画館の入口に掲げられているポスターは、激しいラブシーンの連続の映画に思えた。ちなみに、シリアでは、ヨルダンのように墨は塗られていない。

ところが、中に入って見た映画は、普通の映画だった。いくら待っても、ラブシーンが始まらない。どういうことだ。面白くないので途中退場した。

推測するに、ポスターは、普通の映画でも、ラブシーンを集めまくって仕上げている。つまり、シリア人は映画のエロの部分を期待して見るのだ。邦画でも「有名女優がヌードに!」という売り文句しかないのもある。ストーリーなんて覚えてなくても、あの女優が脱いだというので覚えている映画は皆さんもあるはず。若い頃にヌードになった女優のビデオを、ヌードシーンだけ見たさに借りたことはないですか? シリアでも、エロが重要なんだ。エロに釣られて映画を見る人が多いんだなあ。

この1週間後、レバノン、ベイルートで食事したレバノン人のアレックスの叔父さんは、映画館を経営し、dark movie (ポルノ関係かな)というビジネスをやって財を成したらしい。アレックスも、その叔父を手伝い稼いでお金持ちだ。数年前にそのビジネスから手を引いて、今は給料は安いがまともなビジネスをしているらしい。アレックスいわく、どの社会でもポルノはあるということ。


イラク人

夜、サンドウィッチ屋で内臓系のモノを注文しようか悩んでしまって隣にいる人に、うまいかと聞いたら、この店の内臓は古いから不味いし、腹壊すぞと教えてくれた。その人も一人だったので、二人で定番の豆サンド(ファラーフェル)を食べながら、会話を交わす。すると話が盛り上がった。

彼はイラク出身のキリスト教徒。40才。髭は剃っているけど外見は私にはヨルダン人と区別がつかない。現在は、アメリカのサンフランシスコのインテルで勤めているとのこと。収入も、3000㌦/月 で、安定した暮らしを送っているとのこと。10才年下の香港人と婚約していて、幸せだそうだ。アンマンに来ている理由は、イラクにいる親戚と会うためらしい。

彼は、サダム・フセインが嫌いだ。ムスリム(イスラム教徒)が嫌いだ。迫害を受け、亡命し、家族が離れ離れになっている。生まれ育ったイラクに戻りたいが、サダムがいる限りは戻れない。サダムは、国民の財産をすべて自分の財産にして汚いとも言っていた。ムスリムだけの国家を作る(私は、イラクに多くのクリスチャンがいることすら知らなかった)のは、おかしいとも言っていた。

また、ヨルダンでは、人々がすごく親切でいいところと、私が話すと、ヨルダン人は好きだが、パレスチナ人は嫌いだと言っていた。イスラエルの土地から追い出され多くのパレスチナ人がヨルダンに流れてきていて問題を引き起こすのだという。複雑な問題だ。我々の会話は、上記のとおり、かなりやばい内容だった。もし捕まって、拘留されたら、それはそれで面白いのかもしれないけどね。英語で話していたから、周りにはわかりにくいんだけど、スリル満点。

二人で、時おりキョロキョロして盗聴されていないか確かめたりもしました。


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