講演案内 旅グルメ レジャー情報 搭乗拒否問題 リンク集 問い合わせ

Travel for All トップページ目指せ100ヵ国!車イスでの世界旅行in English

旅コラム バリアフリー安宿情報 世界のバリアフリー事情 世界のカミキリ コカ・コーラ 旅のランキング

 
中東遺跡巡り(1)

2000/04  -  05

インディジョーンズの舞台ぺトラ / ヨルダン


旅の善し悪しは、最初に出会う人で決まる。
バスターミナルで出会ったオーストラリア人のEavyは、この旅を成功に導く女神となってくれた。


ペトラを目指して

映画「インディ・ジョーンズ」の舞台で有名なぺトラに向かうバス乗り場で、危うくセルビスタクシー(乗合タクシー)のぼったくりにあうところを助けてくれた人がいた。オーストラリア出身の女性イービーだった。彼女も私と同じように、一人でぺトラに向かうところだった。すったもんだの末、セルビスタクシーに乗るのを諦め、結局イービーとミニバスでぺトラの玄関口の町ワディムサに向かう。

3時間ぐらいして、ワディムサに着いた。しかし、ここからぺトラまでも短い距離だが、移動しなければならない。このとき私の五感が研ぎ澄まされた。イービーを捕まえて「一緒に廻りましょう」と誘うのが最善だ。ぺトラは大きな遺跡で道路もガタガタだろう。車イスで廻るには誰かの助けが不可欠なのは間違いない。イービーも幸い一人なので、運命共同体に引きずりこもう。

なかば強引に、ワディムサからぺトラまでのタクシーに相乗りした。作戦通りそのまま、彼女とぺトラを一緒に見ることになった。彼女は私と同じく日帰りでアンマンに戻らなければならなかったので、同じような行動が取れたのも幸運だった。さらに、お互いにタクシー料金を折半でき、経済面でもお得だ。

彼女は、本当は一人でゆっくりぺトラを探索したかったはずだ。趣味はマラソンなので非常に体力があるからだ。でも、彼女には、懐の深さというか「車イスの私との道連れ旅」を楽しむ余裕があった。だから、私も安心して彼女とぺトラ観光が出来ると確信していた。ここは甘えさせてください。

ぺトラの入場料は、なんと20ヨルダンディナール(約3500円)。ヨルダン人は1ヨルダンディナール(約180円)なのに、外国人は20倍を支払う。これは、ヨルダン政府のすごい収入となっている。ところが、車イスは無料だった。最初はお金を払ったが、周りの人が無料だと教えてくれ、お金を返してもらった。

ヨルダン、シリア、レバノンといった中東3カ国では、どこの遺跡でも車イスは無料で入れた。いい国々だ。でも、ぺトラを車イスで歩くのは困難なので、馬車やドンキー(ロバ)などの利用が必要となる。その代金に入場料の20ヨルダンディナールが消える。うまく帳尻が合う。

  

さて、券売所から緩やかな坂を15分程下ると、有名なシーク(隠れ道)の入口が見えてきた。道はガタガタだが、下りなのでウィリーをしながら車イスで降りて行った。車イスのリムが摩擦で焼けてきた。手のひらが熱くなっているのを我慢して、なんとかシークの入口に到着した。いよいよ、これからが本番だ。もう引き返せない。ここまで来れば突入するしかない。

シークは、50~100メートルはある岩盤の裂目にできた細い道。暗く幻想的な雰囲気は旅情を盛り上げる。秘宝が眠る土地のイメージそのものだ。長い間この地が、外部の人間に知らぬよう隠され続け、守られてきた秘密の都市というのに納得だ。

幻想的なシークの岩の裂目をイービーに押してもらいながら、約30分歩いていった。そして、ようやく最後にバラ色の神殿が現れる。入口から一時間弱、怪しい道を抜けて、ようやく遺跡にたどり着く。このバラ色の神殿は、およそ2000年前に岩をくり貫いて作られた霊廟で、照らされる日光によって姿を変える。映画の世界に迷い込んでしまった感覚になる。

ぺトラは、遊牧民のナバタイ人やベドウィンによって、2000年以上も前から栄えた都市である。その栄光を誇るかのように、神殿や多くの王の墓が並んでいる。バラ色の神殿は、実はぺトラ遺跡の序章でしかない。この奥に、まだまだ壮大な遺跡が続いている。

ここで私は、この奥の遺跡を見るのをどうしようかと考えた。まだまだ車イスにはタフな道が続く。坂を下り、シークを抜けてバラ色の神殿に到着するだけでも大変なものだった。イービーも手助けするのが大変だと思ったのか「ドンキー(ロバ)に乗ったら」と提案した。ドンキー屋と11ヨルダンディナール(約1800円)で交渉が成立した。

 

ドンキーによるぺトラ遺跡の観光が始まった。下半身が不自由で、もちろん足や股に力が入らないので、ドンキーに乗るのは正直恐かった。一生懸命、腕で体を支えるしかない。最後には慣れてきたが、最初の方はビビリまくって観光を楽しむ余裕はなかった。非常に勇気がいるドンキーだったが、ここまでくれば恐いものはない。

さすがに、ドンキーで階段を降りていくのは危険なので、奥の山までは観光することはできなかった。しかし、昔の劇場や宮殿跡を、ドンキーに揺られながらのんびりと見て廻った。

petra08.jpg (32488 バイト)

早朝に首都アンマンを発ったのに、ぺトラを観光し終えたら、もう夕方になっていた。ぺトラの玄関口ワディムサの町からは、夕方アンマンに向かうバスは出ていない。遠回りになるが、マアーンというヨルダン内部の大きな都市に移動してアンマンに戻ることにする。

けれども、マアーンに行くバスもなくなっていた。タクシーを拾うしかないが交渉はタフだ。しかし、イービーがいる。彼女の交渉力は素晴らしかった。彼女の手配で安く、安全に、素早く、マアーンに移動ができた。マアーンでも一瞬でセルビスタクシーに乗り換えが出来て、我々はアンマンに戻った。

イービーは、只者ではなかった。聞けば、彼女は世界40ヶ国以上の訪問歴がある旅行者。しかも、インドやイタリアなどで長期滞在し、今はレバノンの首都ベイルートで働いている。その身一つで世界中どこででも生きていくことが可能な力強い人である。ケチなバックパッカーのように交渉で怒るようなことは決してない。ボッタクリ業者が来ても、彼女の周りには常に笑顔があった。彼女が現在働いているレバノンの首都ベイルートは今回の旅行の最終目的地であるので、最後に、ベイルートでの再会を誓ってお別れをした。

・・・

1週間後に無事ベイルートで、イービーと再会。海岸沿いの洒落た店でディナー。人生最高の夜の一つ。自分で言うのも何だが、良い笑顔をしている。レストランからホテルへの帰り道、検問も警察も多く、物騒だなと思ったら、大使館爆破テロが起きていた。そんなことに市民は動じず、普通の生活。


NEXT  目次 / 旅コラム

Travel for All トップページ