新たなる挑戦(1)
2001/11
いきなりの大トラブル / イギリス
ハンドサイクル 今回の旅の目的は、カレン・ダークというイギリス人に会いに行くこと。彼女は、21歳のときクライミング中の落下事故で脊髄を損傷し、車イスになった。だが、自然を愛する心は消えず、ハンドサイクル(手漕ぎ自転車)でシルクロード1600kmを走破したり、カヌーで海を渡ったり、非常に活動的である。 私の小さいときの夢。それは自転車で世界一周することだった。中学のとき、淡路島、小豆島、四国を一周したりするチャリンコ青年だったので、もし車イスになっていなかったら、実行していたと思う。その夢は諦めていた。だが、何にでも諦めるな。チャレンジすべきだと想いが強くなってきた。情報収集してみると、カレンに当たったのだ。同じような事を考えている人がいる。 カレンは、とある日本人女性のコーディネートで、2000年4月ハンドサイクルで日本縦断をしている。この旅は大きく報道されたのでご存知の人も多いだろうが、恥ずかしながら私は全く知らなかった。「夢をあきらめないで ~カレンと自然と車椅子と~」TBSブリタニカ という本も出版されていた。早速、本を購入し読み、カレンと会いたいと思った。その後、翻訳者と連絡を取ることに成功し、カレンと連絡を取ることにも成功する。 短い日程だが、カレンに会いに行くことにした。その話をコーディネートした人に話すと、「行くなら、日本でカレンが使ったハンドサイクルを持っていって」とお願いされた。そんな大きなものを持っていって大丈夫なのか非常に心配であったが、いつも乗せているから大丈夫といわれた。それが出発の5日前だった。関西空港でハンドサイクル(全長約2m)を受け取り、持っていくことにする。 搭乗拒否の危機 出発当日。チェックインカウンターで揉めた。 ・車イス一人での搭乗について ← これは悪くない。断られたら提訴するつもりだった。 また、関空でハンドサイクルを引き取ったり、電車の関係で、カウンターに行ったのが出発の70分前と時間的余裕がないのも、航空会社の混乱に拍車をかけた。 飛行機に乗り遅れてしまうと本当に思った。 だが、車イス一人では乗れないのはおかしいので、それだけは主張した。ハンドサイクルは最悪の場合、構わないと思った。私の荷物じゃないし。航空会社のKLMは、積み込みに対し、本社への問い合わせが必要なんだって。しかし、カレン以外にも、ロンドンとパリで計4人の友人と会う約束もしているので旅立たなねばならぬ。「明日乗ってくれないか?」という航空会社のお願いなんて受け入れられるわけがない。 長い沈黙と交渉の末、車イス一人での搭乗は当然OK(この航空会社3回目で初めて言われたんだよ)。だが、ハンドサイクルは、アムステルダム→アバディーンが、別会社(本当は子会社)の路線になるので、そこの許可もいるので、関空→アムステルダムだけの許可をもらって、乗ることになった。搭乗券が発券されたのは、なんと出発の25分前。もう既に搭乗が始まっている。職員と一緒に広い関空を慌てて走る。私が搭乗すると飛行機はすぐに出発した。
アムステルダムで無事、ハンドサイクルを受け取ったが、アバディーンまで本当に来るか心配だった。だが、心配してもしょうがない。5時間も乗換え時間があるので、夕食を取りにアムステルダムの街に繰り出すことにする。 オランダ料理はおいしくないので、ヨォロッパ一といわれるアムステルダムの中国料理を楽しむ。ゆっくり観光をする時間はないので、ちょろっと散歩をして空港に戻った。
アムステルダムから、アバディーンへの飛行機に乗り込むとき、ハンドサイクルは積まれているか? と係員に、絵まで書いて確認をとったが、不確実だった。荷物の半券をもらっていなかったので不安だった。 案の状、アバディーンに着くと、ハンドサイクルは届いていなかった。空港に迎えに来てくれたカレンに事情を説明して、一緒に空港職員に問い合わせると、翌日の便で届けます。自宅まで配達します。とのこと。 翌日、ハンドサイクルは配達され、カレンへの届け物を渡すことが出来た。一安心。
|