西アフリカ 修練の旅 (2)
2009/01 - 2009/02
91ヶ国目 / ナイジェリア
エジプト航空 関空14:10出発予定が、4時間遅れ、カイロ到着が24:00から、04:00になった。翌日18:45ナイジェリア・カノ行きの飛行機に乗るため、市内で1泊するつもりだったが、予定を変更して、空港で過ごすことにした。エジプト入国にはビザ代15USドル、それに市内へのタクシー代、ホテル代など計8000円くらいかかるからだ。 カイロ空港は2008年に新しいターミナルができ(更に新しいのも建設中)、とてもきれいで快適だった。機内へと乗り込む昇降車もあるし、車いすトイレも一応ある。 04:00、乗換カウンターで、パスポートと航空券を預けた。「1時間後に来い」と言われ、 ベンチで横になって、05:00に戻るが、何もしてくれない。06:20、係員が「ホテルに案内する」という。「空港に留まるから」と断ると、とても不思議そうな顔をする。ホテルへの案内は無料。航空会社のサービスらしい。しかも朝食、昼食つきだよって。「なら行きます!」と私は態度を急変した。 私と同じように、西アフリカ(ガーナ、ラゴス、カノ便)行きの乗客15名と一緒に空港の外に出た。全員アフリカ人。民族衣装を着た人も多くいた。風格ある体躯である。 ミニバスに乗り換え、空港そばの5つ星ホテルへ移動。最高の部屋と食事で、10時間くつろげた。豪華な朝食、昼食、広いダブルベッド&アクセシブルルーム(車いす対応部屋)。エジプト航空へ請求させるであろう、サインした書類を見ると、ルームチャージ350、朝食50、昼食95、合計495バウンド(約1万円)であった。 関空からの飛行機が、4時間遅れてなかったら、自分で入国、市内へ移動していたが、その費用が節約できた。欧州や中東からの西アフリカ行きのトランジット客へのサービスに紛れこめるとは、非常にラッキー!エジプト航空のサービスに感動です! おかげでナイジェリア旅行への体力を温存することができた。 ホテルには、多くの乗換客が泊まったり、休憩をしていたが、出発の案内は何もなし。電話もなし。空港のカスタマーサービスへ行けと言われただけ。パスポートと航空券は空港へ預けさせられたまま。ホテルから空港へのバスは、一般宿泊客と同じシャトルバスを利用する。詳しい説明なんてなし、ゆっくりゆっくり適当。戻った空港でのカスタマーサービスも多くの客で大混乱。無料でホテルで静養できましたが、夕方の飛行機に無事に乗れるかは不安だった。心臓に悪い。 ナイジェリア 空港からのタクシー 悪名高き犯罪都市ラゴスは避けて、北部のカノへ入国。人口400万人。ナイジェリア北部最大の都市。イスラム教のハウサ族。1400年前から存在する古い都市。イスラム地域で温和な人も多いのですが、腐った人もいました。 空港の案内係が、チップを10USドルよこせとしつこかった。私はチップをあげない主義だが、この国の状況、人々を考えると、1USドルをあげようと思っていた。あまりにも凶暴なので、2USドルを支払った。それでも全然納得してなかった。 その案内係が紹介したタクシーがこれまた横暴。当然というか、白タクしか存在しない。空港には銀行はなく、外にいる闇両替屋から現地通貨をゲット。レートなんてわかりゃしない。夜11時。市内へのタクシー2000ナイラ(15USドル)で強引に成立。こちらはホテル紹介代も含めて10USドルを希望していたが(これでも十分な額)、全く無視。タクシーに私が座ってから横暴に価格を言ってきて、むちゃくちゃ。 タクシー代には、ホテル紹介料も含むと、運転手に何度も念を押していた。事前にホテルを予約するのは無理だし、希望するホテルに泊まれるとは限らないから。実際に見て、ダメだということは多々あるため、いくつかのホテルを訪れなければならない時がある。車いす旅は何かと大変なのだ。 空港は市内から近く、あっという間に市内へ入った。街灯や信号はないので真っ暗。スピードも出せない。ホテルの数は非常に少ない。最初に訪れたホテルの門番は適当だった。結局満室だった。宿泊するホテルを探すのに少し時間がかかったが、なんとか泊まれる中級ホテルを見つけた。 支払いの際に、タクシー運転手は、3000ナイラ(22USドル)を要求してきた。最初にいったホテルは泊まれず、そこで20分ぐらい足止めされていたから、余分に請求をしてきたのだ。距離は近いのでガソリン代は微々たるもの。それ以前に紹介料も含んでいると、交渉は成立している。 ケンカになった。絶対に3000ナイラ(22USドル)は払う気はなかった。ホテルの職員は、それはあなたたちの問題だからと、全く関わらない。無責任な態度。不正や暴力には目を背ける。それが無秩序なこの国で身を守る手段なのかもしれない。
空港からのタクシーは1000ナイラ(7USドル)が妥当な額であろう。3倍とは常軌を逸している。警察を呼んでもいいと思ったが、警察がいないし機能していない国でもある。強いものが勝つだけ。 そういえばインドで、都市間移動のタクシー代でもめて、宿泊したホテル前でタクシー運転手が翌朝まで寝て待って粘られたことがあった。このときはホテルの従業員に追い払ってもらって事なきを得たが、ナイジェリアは無法地帯なので怖い。 大喧嘩になった。向こうも必死。1000ナイラ(7USドル)は一日分の収入にはなるから。2000ナイラ(15USドル)を投げつけ、帰れと追い払い、無視してホテルにチェックイン。幸い、ホテルの中までは襲ってこなかった。 ニジェールビザ取得 翌日、朝食は路上の屋台で、ヨーグルトと豆をすりつぶして揚げたものを食べた。20ナイラ(20円)。子ども達がプラスチックの桶を持って歩いている。食べ残しなどを施してもらうため。かなりショックな光景。エコの観点からいうと、無駄にならないのがいいが、施すことに最初は心理的抵抗を感じた。 タクシーを拾って、ニジェール領事館を目指す。500ナイラ(500円)。値切れば400ナイラで可能。ニジェール領事館は、クカ(北部への大きな乗合タクシー乗場)の手前1.5キロのところ。よってクカまでもタクシーは同料金。ただしタクシーを拾うのが難しい。白タクしかない。一般ドライバーも小銭稼ぎで人を乗せたりする。すべて交渉。市民の足は、バイクタクシー。道に止まっているので、これはすぐわかるが、車いすの私は乗れない。道端でガソリンを売る人にお願いして、タクシーを拾うのを手伝ってもらった。カノではすべて周囲の人に頼んで、タクシーを拾ってもらい、値段交渉をしてもらうことにした。 ナイジェリアは社会崩壊しているため、信頼というものがない。殺伐とした空気。北斗の拳の世界。商店はすべてが闇市のよう。ルールなし。権力、暴力、金が、勝つ。とはいえ、歩いていて襲われはしなかった。市民は普通に生活。ただ無秩序で混沌である。 ところが、ニジェール領事館に入った瞬間に、空気は一変。とても親切で穏やかな人々。見た目は同じだが、ゆっくりした態度、フランス語。上品である。領事館は砂地であったが、段差がなく、車いすでも入ることができた。職員はとても丁寧に対応してくれた。外の喧騒から逃れられ、領事館の中は静かで癒された。 一番値段の安いシングルビザ1ヶ月を取得した。 20000CFA=5740ナイラ(4000円)。翌日発給。ナイジェリアの紙幣が足りなかったが、領事館の人が電話で両替屋を呼んできてくれた。USドルをナイラに両替して支払う。私のために電話して呼ぶなんて、とても親切な職員。ナイジェリアとニジェール。国が違えば、文化、習慣も違う。国境って存在する不思議。 翌日12:00に、ビザは出来上がるとのことだった。ビザをとってそのままニジェールへ移動したかったので、翌朝09:30に取りにいったが、さすがに出来上がっていなかった。領事館の中でゆったりと腰掛けて待って、13:00に取得完了。タクシーでクカへ移動して、いざニジェールへ! カノ市内観光 ビザを申請した日、ニジェール領事館から、クルミ市場へとのんびり歩いた。食事をしたり、散髪をしたりした。1日ずっと歩いた。10キロぐらい。歩くのが観光なり。ナイジェリアでは、ほとんどの人が英語を話せるので、コミュニケーションがとりやすいことは嬉しい。 いいホテルはないかと目を配ったが、やっぱり街にホテルはなかった。非常に少ない。現地人は知り合いの家に泊まるのかも。ちなみに3日間の滞在で、肌の色が違う外国人や観光客もみていない。 昼食は、キャッサバ(ねばねば芋をふかしたもの)と、魚(アジを揚げたもの)で、60ナイラ(60円)。辛いソースが良い。キャッサバはニョッキみたい。芋を練って餅のようになっている。手で食べる。最大のマーケット、クルミ市場は、すべてが闇市のように混沌と無秩序。広くてわからん。道路がガタガタで、とてもじゃないけど車いすで中は入れない。すごすごと退散。 とにかく市内には人が多かった。インドに似ているとの印象を受けた。アフリカーナ(黒人)なのが違い。車いすの人も多くみかけた。途上国でみかける自転車式の3輪車いす。7台+台車に乗って地面を手でこぐ人を見た。イスラムの影響か、人々がよく施し(小銭をあげる)をしていた。杖の人、肢体不自由な人も多く見た。ほとんどが物乞いだが、街で生きているのはとても良いことである。 街はゴミだらけだった。私が今まで訪れた街でダントツで汚い。インドのベナレスも汚いが、比較にすらならない。すべてポイ捨て。誰もゴミを回収しない。ときどき野焼きはしているだろうとは推測される。ガソリンと排気ガス、ビニールやペットボトル、ゴムなどが錯乱しており、ゴミの埋立地に迷い込んだ雰囲気。 バイクに自動車、トラック、交通量が多いので、事故に巻き込まれないように注意した。スリや強盗がいるようなピリピリとした雰囲気は全くなく、安心した。貧乏人しかいないからか。ハウサ族の北部は比較的安全といわれるのも納得である。ラゴスは全く違うのだろうと勝手に想像した。 たった3日間だけの滞在。安全第一で無理はしなかった。ニジェールのビザを取得して、すぐにニジェールへと移動しました。 ニジェールへの移動 (ビザ取得からの続き) ビザを取得してそのまま移動して、乗合タクシー乗場のクカへ着いたのは13:30。こんなに汚いタクシー乗場は知らない。ゴミだらけ。無秩序。騒音。ガタガタの道。無数の露天。ニジェールのマラジ行きの乗合プジョータクシーを発見。1+3+3の7名乗りであった。助手席を希望したが、先客が譲ってくれないため、中列、運転席の後ろをゲットした。 コーラを買ってきてもらい、窓から果物やパンを買って、空腹を満たす。私がどうやら最後から2番目の客だったのか、乗ってからすぐに出発した。13:45発。待ち時間がなくてラッキー! 乗合タクシーは人数が揃わないと出発しないシステムである。値段は1200ナイラ(900円)。言い値だが、正規の値段であろう。 ナイジェリアの道路は非常に良い。きれいに舗装がされている。さすが産油国。その道をこれでもか!と飛ばす。速度は、100キロ以上。死にたくないよ。排気ガスの市内を抜けると田舎道に。道中に早速、バオバブの木を発見。土の家も見えてきた。これぞアフリカの風景!都会はどこも同じで面白くないと再認識。車窓が面白いので、移動も苦にならなかった。 15:40 ガソリン給油。私以外の乗客と運転手は、メッカに向けてお祈りをしにいった。ガソリンスタンドの片隅に礼拝スペース。いわゆる礼拝休憩でもあったのです。 乗客はすべてニジェール人だった。商売人。彼らがジュースとパンをご馳走してくれた。とても嬉しい。彼らと運転手の協力もあり、入国出国の手続きはスムーズで助かった。車から降りずに済んだ。キーワードは、「グルグニ(=障害者)」。彼は体が不自由なんだよって。ここでやってくれよと。 一度だけ、ナイジェリア国境近くの検問で長時間捕まった。日本人の私にイチャモン。ビザもあるし、何の問題もないはずだが、賄賂が欲しいのか? 何も払う気はないので、ガンとした態度をとった。何事もなく通過できたので、ほっとした。 出発から4時間後、17:45 ニジェールのマラジに到着。非常に快適でした。 ※西アフリカ旅行の最後にデジカメが盗難されました。写真はありません。 しょぼん。 |