私は、高校3年生のときに車いすになりました。歩けなくなったということを除いては、自分自身、特に中身は何一つ変わっていません。しかし、周囲の態度は一変しました。歩けなくなったことより、そのことが一番ショックでした。明らかに舐められた態度を取られたり、哀れみの言葉をかけられたりするようになりました。車いすになる前には、そんなこと一度もなかったのに、驚きです。何か行動しようと思うと、「設備がないからダメだ」「規則ですから出来ません」といつも言われました。本人がしたけりゃいいじゃないか。行動する機会すら与えてくれないことに失望しました。 大学1年生の夏休み。米国で過ごした1ヶ月は衝撃的でした。自分が車いすに乗って生活していることを忘れていたのです。本当です。店舗、飲食店、交通機関のほとんど全てがバリアフリーで何をするにも不自由がないのに加え、それ以上に、人々の視線がないことが理由でした。米国では、私をまず「個人」として見てくれました。日本では私の人間性よりも先ず「障害者」というのが大事になっているのだと気づきました。障害というのは社会によって認識されるもの。社会が変われば、障害が障害でなくなるかもしれない。世界を旅して痛感しています。
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